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原澤出版の執筆用ブログ

"自分"を最大限生かすための人生戦略~はじめに~

"自分"を最大限生かすための人生戦略~はじめに~

 

 人生とは何か?なんてありきたりな問いからはじめてみたりしてしたり顔。。。ってその書き出しダメじゃんって感じがするけど、どうしても韻が踏みたくなってしまう。その因果に応報するかのように、問いかければ何かが応答するMy life。

 人生とは何か?親やまわりの大人たちの言う事をよくきき、学校の先生の言う事をよくきき、学校というルールの中で決められたことで"優秀"といういわゆるひとつの「よくできましたシール」を貼ってもらう。これの繰り返しで、次は「社会編」と進んでいく。その中で「結婚編」「家庭編」とスピンオフ的なアプリが追加されていく。これらをうまく乗り切ることが「人生とは何か?」に対する答えなのだろうか?

 もしかしたらそうかもしれない。だけど、今と昔ではちょっとそのあたりが変わってきた。私が子どもの頃昭和50~60年あたりは「人生戦略」と言えば、どれだけ「成功者としてのレールに乗れるか」大衆からすれば、人生戦略とはこのようなものだったような気がする。ただ、それから30年余経ってこの世の中はどうなったかっていうと、30年前の人生戦略はまったくもってとは言わないまでも、かなり通用しなくなってきた。それこそ昭和50年代に「リストラ」などという言葉はおそらく存在しなかった。「終身雇用」だの「年功序列」というパラダイムが蔓延るパラダイス。かどうかは分からないけど、「良い学校行って良い会社に就職すればそのまま安泰」っていう案外雑な感じの人生戦略がそれこそセオリーとして蔓延っていた。ような気がする。

 そのパラダイスはいつの間にか泡がはじけたかのように、消えてなくなる。その消えてなくなった泡の代わりに出てきたのは「サバイバル」。泡だらけの世の中だった時にあった「社会が守ってくれる」ようなパラダイムは一新され、年が経てば経つほど「自分の身は自分で守れ」というパラダイムに移っていく。社会のルールが変わっていく、大企業の方針が変わっていく。その事実から目を背けなければ、火を見るよりも明らか。それなのに大衆は、約30年、40年前のパラダイムに合った「あの人生戦略」に未だすがりつくというパラサイト。多くの人間は未だにそこから抜け出すパラシュートを見つけ出すことが出来ず、ひたすら過去のパラダイムという牢獄に閉じ込められている者達が多数。

 人生とは何か?以前は、それは自分以外の何者かが決めていたものなのかもしれない。それこそ自分が何と呼ばれるかという名前と同様に。名前だけでなく人生そのものも自分以外の誰かに握られていたのかもしれない。ある意味それは自由を制限された罪びとと同じように。もちろん、我々の認識としては生まれながらの罪びとであるとなど誰も思っていない。だけど、構造上もはや人間とは自由を制限された罪びとの如く人生を何者かに制限されているのかもしれない。自由とは何なのか?人生とは本当の意味合いにおいて自由なのか?

 その問いに対しての答えを、私自身四十年間探す旅をしてきた気がする。孔子は「四十にして惑わず」と言うが、この世界はとくに今の世の中、始終惑わすかのごとく、もやもやとしたつかみどころのない世界を提示している。それこそ、過去のセオリー、戦略などにすがろうものならば、市中引き回しの刑よりも痛く、辱められるかのような人生を虐げられる危険もある。

 だからこそ、今回私は"自分"を最大限生かすための人生戦略という本をたしなめてみることにしてみた。これも私自身がよく、クライアントというか受講生の方達に質問する問い

 

もしも、人生で一冊しか本が書けなかったら、どういうタイトル、どういう内容の本を書きますか?

 

 この問いを自分にぶつけた答えがこの"自分"を最大限生かすための人生戦略だ。何故、本のタイトルをこのタイトルにしたのか?それは時代と人間がずれている気がしたから。すでに何度も書いたが、こんなに時代も世界も変わったというのに、多くの人間達は使えもしない古臭い人生戦略を未だに子ども達に押し付け、自分たちもその人生戦略に縛られ、不自由な人生を送っている。というよりも、それは皮肉な事に自ら不自由な人生を選択し、自ら溺れもがき苦しんでいるようにも見える。

 ある意味、この本は少年時代の自分に向けて書いた本でもある。親の言っている事大人達が言っている事学校が言っている事社会が言っている事。それらが正しいのか間違っているのか?正直時代もそれほど今ほどではなかったのもあるが、何が本当に正しい答えなのかが分からなかった。そんなに「これが正しい」なんていう生き方があるのか?成功だとか失敗だとかってなんなのか?そんなものを他人に決められて生きるものなのか?子どもながらによく分からなかった。生きていてもよく分からなかった。多くの人間が、何も考えずに何かを妄信し、根拠なく突っ込んでいくように見えた。もちろん本人がそれをしたいのであれば、その生き方を選択すればよいだろう。だけど、自分の人生はすでに社会という手のひらに転がされ、歯車のような人生を送らなければならないのか?ようやく四十年間生きて来て、何が虚で、何が実なのかが見えた気がする。

 この本は、大人たちというよりも「人生って何なのか?」と考えたくても考えるヒントを見つけられない子ども達や若者達にとってヒントであり支えになれる存在になったらいいなって思って書きました。なので、あまり本文を堅苦しく書くつもりはないと心に秘めて書いたつもりだったけど、ちょっと堅苦しくなってしまったかもしれない。私自身四十のオッサンになった今も、社会や「大人」に対して中指突き立ててファ〇クユーし続けていたい反骨精神の持ち主ですので、気持ちだけは若者側であり、変革者側として駆け抜け続けたい。死ぬまで気持ちだけは若者側でありたい。そんな四十オヤジの自称「先駆者」が若者たちに道を記す書で御座います。心ゆくまで、自問自答を楽しみ、対話を楽しみ、「自分なりの人生戦略」を作り上げてこの世界を自由自在に遊べる大人になっていただけたら非常に嬉しいです。

 ということで、最後にあくまでこの本も「あなたが人生戦略を作り上げる上での参考程度である」って事を申し伝えて本編へGo致します。

 

ハラサワ a.k.a 悪ノリオヤジ