harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

1:とりあえず、ぼんやり世界を見てみる

1:とりあえず、ぼんやり世界を見てみる

 

 まず、「人生戦略」と言って何を手掛かりにして作っていくか分からないと思うので、手がかり的なものを探してみる。「人生という戦略」として考えた時、分かりやすく考えれば「勝ち組」だの「負け組」だのというあの世界観。例えば巷で言われているそれらはこんな感じ。

 

[勝ち組]

収入多い

理想のパートナー

結婚

理想の職業

理想のライフスタイル

 

[負け組]

収入少ない

パートナーどころかそういう対象がいない

結婚できない

「飯食うためにやるだけ」の職業

誰も憧れないありがちな大衆的ライフスタイル

  なんとなくこんな感じではなかろうか的な。もちろんこれは世間一般的に言われていそうな「勝ち組」「負け組」の定義であって、別にこれが正しい訳でもなければなんでもない。むしろ「2月14日は女性が男性にチョコレートと共に愛を告白する」「3月14日は男性が女性にお返しする」「2/3は今年の運のよくなる方向を向いて太い巻物にかぶりつく」などといったどこかの業界が金儲けするためにつくられたイベントと同じような構造をしている。それが、「勝ち組」「負け組」だ。そもそも何に対して勝ったのか、何に対して負けたのかが明確ではない。そしてどこでこれを「勝ち組」「負け組」と定義するために議論したのかもまったくもってNAZO。

 「勝ち」か「負け」か。まずこれを他人に決められた時点で負けなんじゃないだろうか。それこそガチで自分の人生を生きる。そこを手放した時点であなたの人生はすでに負けが確定している気がする。上記のような条件に合致していようがいなかろうが、それらの条件を「自分以外の誰かに決められる」そしてそれをどんな理由でかは知らないが、「甘んじて受け入れてしまう」それが人生における「負け」であり「負け組」に入ってしまう要因だと思う。

 つまり、人生を勝ち抜くうえで必要なのは"責任感"なのではないだろうか。これを捨てたり、何者かに奪われた時点でほぼその人間の人生ゲームは終了している。もちろんどこかで気づき、"責任感"を取り戻す可能性もあるので、その時点で即Gameoverではないが、"責任感"という人生のコントローラーが自分の手元にない間、その時間はまさに死んでいるのと同じ、ある種の仮死状態。そして恐ろしいのは、その"責任感"が自分の手元になくなっている間は、自分の"何か"がどんどん腐敗していく。その腐敗していく"何か"の正体の事を人は"魂"と呼ぶのかもしれない。

 このあたりの世界観を非常に分かりやすく表現した映画がある。それがMATRIXだ。正直なところ学校の使えない大して役に立たない教科書に書かれた内容をひたすら記憶するのであればこの映画MATRIXを何度も見て「実際世界ってどうなっているのだろうか?」とひたすら自問自答した方が、それこそ"責任感"という自分のコントローラーを自分が保持し続けていくためにはよっぽど役に立つ。先ほどの巷でなんとなくこれが勝ち組、負け組だのと決めた事により、得するのは一体誰なのか?そこを考えみると、「この世界は一体どうなっているのか?」ということが多少ぼんやりと見えてくるのではなかろうか。

 例えばその他にも、分かりやすい例がある。それは朝のテレビニュースだ。あれを見ていればはっきりと分かる。人生のコントローラーを知らず知らずの内に奪おうとしていることが。ある意味、それは「国家的なオレオレ詐欺」と変わらない。これは一例だが朝のテレビニュースの仕掛けは簡単だ。

  1. まず、よろしくないネガティブニュースを流し続ける
  2. そしてCMで生命保険のCMで洗脳
  3. 最近はこれが15分ワンセットになってひちすら繰り返し放送

 戦後にアメリカが日本国民を洗脳するために「3S政策」などというものをとったとかとらなかったとか言われているが、今の時代、それを仕掛けているのは異国ではなく、自国でとられているという事実があるということ。渡る世間は鬼ばかり。それこそゴルゴ13の如く、常に常在戦場であるかのように、いつ何時何者がその「自分の人生のコントローラー」を奪いに来ているのか警戒しながら生きなければ、知らず知らずのうちに負け状態、人生の仮死状態、魂の腐敗モードに入ってしまっているのか分からないまま時は流れてしまう危険に我々は常にさらされているという事に、まず気づけるか気づけないか。気づけなければ映画MATRIXの中に描写されたあのカプセルの中で、生かさず殺さず状態で生命力を吸い取られ続けて夢を見させられているあの状態が心臓の鼓動が止まるまでずっと続いていく。それは、先ほどの「勝ち組」の条件に合致していても同じこと。むしろ逆に、先ほどの負け組に該当したとしても、そこに気づき自分の人生を自分でコントロールできているのであれば、それは「生きている」と言える。

 そもそも巷で言っている「勝ち組」「負け組」などというものは、人々がその某MATRIXシステムが自分の人生のコントローラーを奪うための幻想であることを信じ込ませるためにつくられた何者かが作ったシステムであり仕組みの1部だということ。ここに気づけない限り、「勝ち」だとか「負け」だとかの前に、そもそも生きてすらいない。まずこの仕組みから抜け出すことが大事で、そうではないかぎり、自分の人生を取り戻す事すらできない。