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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

2:誰が得をする世界なのか?について考えてみる

2:誰が得をする世界なのか?について考えてみる

 

 何故、この本のタイトルに「戦略」という言葉が使われているのか?それは「仕掛けられているから」だ。誰が誰に仕掛けているのか?ここが見えてくれば何故「人生戦略」なるものが必要なのかが見えてくる。「戦略」ということは戦いという世界観がそこにあり、戦いという世界観がある以上、そこに「勝ち」「負け」が存在する。前項では人生おける勝ち負けは、巷でよく言われているような勝ち負けとは違う内容を指摘した。それは「自分で自分の人生のコントローラーを握っているかどうか」握っていれば勝ち組だし、自分ではない何者かに握られているのであれば負け。それがいくら裕福であろうが、人が羨むような人生だろうが負けだという定義。

 だけど、巷の「勝ち組」「負け組」の定義は違う。「自分の人生のコントローラー」を誰が握っていようが関係ない。それこそ、親、大人たち、社会はあなたにこう囁く事だろう。「社会のレールにしっかり乗りなさい。」と。正直この囁きこそが、負け組へと誘われる呪文のようなものなのだが。。。それこそ、何の疑いもなく従順に「自分の人生のコントローラー」を手放し、素直にその「社会のレール」とやらに乗って自分を決まった場所にしか進む事の出来ない列車のような状態にする事を、社会の上では「教育」と呼ぶ。それは、「自分の人生のコントローラー」を本人から削いでいくいわば割礼儀式のようなものだ。だから、未だに多くの人々はこんなに世の中が変わったというのに未だに社会のすねをかじってなんとか生きすがろうとしている人間達ばかりなのだろう。もちろん、これはおかしいのは明らかであるし、若者たちはそのおかしさに薄々気づきつつある。

 では、視点を変えてみてそういった「教育」をすることで、誰が得をする世界なのか?について考えてみることにしよう。この一種の割礼儀式を幼少期から長年にわたり行い、得をするのは一体誰なのか?答えは簡単だ。それは「今現在得をしている"大人"たち」に決まっている。そうでなければ、こんなバカげた風習は続く訳がない。いわゆるひとつの「既得権益」というやつだ。言い方を変えれば「早い者勝ち」のような世界観。そのシステムの名前は「ピラミッドシステム」と呼ばれている。

 社会にとってはこの「ピラミッドシステム」が非常に大事で、それこそ社会というゲームマスターは、「いかにこのピラミッドの上側に行くことが出来るか」についてをいろいろと教授してくれる。その教授が正しければまだ良いのだが、結構それらが使えないものばかりで、二重の苦痛に苛まれることになったりするのだが。

 そのある種の二重構造については別の項で話すことにして、今はこの「ピラミッドシステム」と誰が得をする世界なのか?について考えてみることにしよう。もちろん現時点でそのピラミッドの上側にいる者達が得するように仕組まれているに決まっている。もしも、現時点でそのピラミッドの上側にいる者達が奈落の底へ突き落されたとしたら今度は、その時点でピラミッドの上側にいる者達を引きずり落そうとする事だろう。まるでそれは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の世界観そのもの。ここにも「自分の人生のコントローラー」がいかに重要であるかという事が垣間見えてくる。

 そうなのだ。この仕組みを見る限り、「ピラミッドの上側にいる事」が勝ち組ではないという事が分かってくる。もはやそれは、自分という存在そのものをコントロールすることができず、ひたすらあの蜘蛛の糸をたどって、なんとか地獄から這い出たい亡者共と大差ない。もはや上側にいる人間も、下側にいる人間も「自分の人生というコントローラー」を何者かに奪われ、その「ピラミッドシステム」という輪の中をぐるぐると必死こいて走り回っているハツカネズミと変わらないということ。それを映画MATRIXではあのように描写している。

 そういう事を考えていると、「なんだ、得をしているのはピラミッドシステムの上側にいるものではないじゃないか。」という事が見えてくる。さらにその「ピラミッドシステム」なる蜘蛛の糸システムによって世界を牛耳っている存在。。。そうそれが、、、などとさもこの世界のNAZOを自分だけが知っているかのように語れば、どこぞの都市伝説マニア、陰謀論オタクのような状態になる。個人的には陰謀論よりも韻暴論を唱えたい。

 この流れは、陰謀論者達がその数々の陰謀説にたどりつく思考プロセスとそれほど変わらない。個人的にはっきりここで意見させていただくと、私にとってそれが某組織であろうが、ユダヤ人だろうが、宇宙人だろうが何であろうが正直どうでもよい。それが本当であろうが嘘であろうがどうでも良い。大事な事はそのあたりがどうであっても変わらないのだから。

 大事なものとは何か?それは言うまでもなく「自分の人生のコントローラー」を握り続ける事なのだ。そうでなければ負け。取り戻すまではGameoverの状態と同様。むしろ生きているだけにそれは非常に残酷だったりもする。とにかく、我々が自分の人生を自分でコントロールしつつ、この人生というゲームを攻略していくにはとにかく、

 

自分の人生のコントローラーは常に自分で握り続ける

 

 という必要がある。この第一段階がクリアできていない限り、上で支配している存在が何者であったとしても、最終的に牛耳っている存在が何者であったとしてももはやそんな事はどうでもよい問題に過ぎない。だけど、同様にこんな事も言える。

 

他人の人生のコントローラーを奪い集めることで、誰かが何か得をしている

 

 ということ。「人生のコントローラー」とは何なのか?なぜ、これを奪い合うのか?そして、本人には握らせないようにするのか?我々人間は、何をしたところでお釈迦様掌の上で転がされているだけとも言われている。本当の「人生」の意味を知るには、この「人生のコントローラー」の意味を知る必要があるのかもしれない。

 そう考えると、何をしたところで人間レベルで考えると、誰も得していないのかもしれない。もはや「社会」という構造自体が、人間が「なにものか」によって操作されているただの仕組みのひとつに過ぎないかもしれないのだから。そんな「なにものか」によって操作されて作られた手下的存在である「社会」によって、そしてさらにその手下的存在である「先生」によって、という大きなピラミッドシステムによって、もはや「社会」という存在そのものが「なにものか」にカツアゲされているような仕組み。そのカツアゲシステムの連鎖が、我々が生きている「社会」だという事を理解して、そのMATRIXシステムから抜け出す必要が、そもそも本来の「人生ゲーム」をスタートさせる第一段階だと、私は考える。