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原澤出版の執筆用ブログ

9:土地を手に入れただけでは領土ゲームには参加できない。領土ゲームに必要な3要素

9:土地を手に入れただけでは領土ゲームには参加できない。領土ゲームに必要な3要素

 

 私はこのゲームを領土ゲームと名付けたが、ここであらためて「領土」という意味を調べてみると辞書には大体このような説明が記されている。

[領土]

地球上の空間のうち国家の主権に服する部分をいう。狭義には領域の一部で陸地から成る部分のみを指す。広義の領土はさらに陸地部分の領土,領海および領空に分けられ,その範囲は国際法によって定められる。

 ここで重要な部分となるのは、「国家の主権に服する」という部分だ。何が言いたいのかというと、この領土ゲームというのは言ってみれば「国家ゲーム」と訳しても遜色がない。つまり、領土ゲームの参加者は自分で国家を築き、統治することになる。もちろん誤解しないで頂きたい部分は、本物の国家を転覆する為とかそういう意味合いではないという事。これはあくまでも"ゲーム"なのだ。ただしこの領土ゲームが"ゲーム"ではないことも事実ではあるのだが。

 そういうことで、この領土ゲームとは参加者であるプレーヤー、つまりあなたが国家を築く必要がある。そして、国際法で「国家を成立させる三要素」というものがある。それは何かというと

[国家を成立させる三要素]

  1. 領土
  2. 国民
  3. 主権(憲法)

 この3つが国家を成立させる要素であり、この領土ゲームにおいてもその条件は変わらない。これまで現代における領土ゲームに参加するために、1.領土については誰でも手に入れられることを述べた。では、残り2つの要素はどうしたら手に入れる事ができるのか?2.国民に関しては自分も国民の1人なるのでそのままでも国家は成立する。もちろん人口は多いにこしたことはない。そして3.主権というのは言ってみればその国のルールみたいなものなので、その国の王であるあなたが好き勝手に決めればよい。

 つまり、1.領土以外は、考えなくても適当に手に入ってしまうと言えばしまうのだ。だけど、もちろんこれは領土ゲームなので、領土を手に入れ自分なりの国家を築いたところでそれが何か意味があるのかと言えば、そんなに意味がない。

 そこから国家の主である者には、「いかに国を魅力的に統治していくか」というある種のミッションが課せられる。それはもしかしたらクエストと言えるかもしれない。この、「いかに国を魅力的に統治していくか」というゲームが領土ゲームの本質だ。物理的な領土を統治するものとは違い、情報世界の中における領土ゲームは多少性質が違うように見えるが、実際は物理的な制約のある領土ゲーム以上に自由度が非常に高く、ルールの制限が物理的な領土を要する領土ゲーム以上にないので、カオスな世界観が広がってもいるし、これまでのリアルな歴史で起こったパターン以外のイベントが多々起こる事もある。それだけに難しさもあるし、面白さもある。もちろん過去のリアルな歴史から攻略法を抜き出す事も出来る。こんな一生遊べるゲームが今の時代は、無料で手に入れられるのだから、ある意味恐ろしい時代とも言える。それだけにもう「生まれ」だととか「育ち」とかいうパラメータも昔ほど重要視されない平等な時代になったとも言える。もちろん、これまで説明してきたようにそもそも論として、あなたが領土ゲームに参加したいと思えるような心身の自由度を、あなたのまわりの"大人"達が与えてくれているかは今のところ分からない。さらに時が経つにつれて、社会の傀儡量産システムについてもヒビが入って、誰もが自由に人生戦略を自分自身でカスタマイズできる日々が訪れることを祈るばかりだ。

 実際、領土ゲームという大層な名前をつけたのだが、この領土ゲームとほとんど変わらない仕組みとしてビジネスというものが存在する。もう少し分かりやすく言うと「起業ビジネス」と呼んでも良いかもしれない。実際ビジネスを立ち上げる上でも必要な三要素的なものが存在していると思っていて、その三要素とは、

 

[ビジネスを成立させる三要素]

  1. お店
  2. お客
  3. 商品・サービス

 といったこの3要素。似ているというか、ほぼ同じだ。お店というのは領土と置き換えられるし、お客というのは国民に置き換えられる。主権という言葉が難しいので一致しないようにもみえるが、主権と商品・サービスを置き換えても良いと思う。店主が「これをこのお店では取り扱う。このようなサービスによって」という言ってみれば主権のようなものなので。つまり、これが何を意味するかというと、領土ゲームを学ぶという事は、起業ビジネスの仕方を学ぶこととイコールなのだ。これからさらに「自分の身は自分で守る時代」へ移行していく中、それこそ義務教育として自身で起業し、ビジネスを興す力を養成することは、個人にとってだけではなく、社会にとっても有益な事だと感じるのは私だけなのだろうか。

 小学生の年代では「Youtuberごっこ」を安全な範囲で皆で楽しみながら動画を発信し各クラス単位でメディアを創り、発信していけばよいと思うし、中学生の年代になれば自分でブログを立ち上げて、もっと自分独自のメッセージであれ、コンテンツを発表して行けばよいと思う。その取り組みの中で子ども達は、実践的にこの領土ゲームを学ぶことが出来る。世界とのつながりがある事を知り、世界とつながる距離が昔に比べてどれだけ縮まったかを肌で体感する事。もしも国が義務教育としてこれらを取り上げるのであれば、それは非常に喜ばしい事だと思う。残念なことに、学校教育は、私が通っていた約三十年前とほとんど変わっていないだろうし、むしろ時代は制限を緩くしているというのに、さまざまな制限を追加している事だろう。この時代の流れの変遷で、価値観が多様化したことにより、それこそ統率を取るにはルールで雁字搦めにしなければ進められないのかもしれない。であれば、そんな何十年前に創った「学校教育」というシステムという卍固め以上の固め技を崩せば良いだけなのではないだろうか。だけど、頭の固い"大人"たちはそれを許さないだろうし、固いのは頭だけではないので、身動きを取りたくても取れないのかもしれない。

 だからといって、国や社会が教育の体制を革新するのをいちいち待つ必要はなく、気づいたらその体制からフェードアウトしてしまえば良いのだ。これは個人的な考えではあるが、世の中的に俗にいう「不登校児」というのは、出来の悪い存在として扱われているが、私の考えはその考えと真逆であり、今の時代にあんな古臭い腐りかかった学校教育という毒水に漬けられ続けることに耐えられること自体が異常であり、むしろ感覚的に優れている人間であれば、今の時代のあの崩壊している教育システムからフェードアウトするという発想、そしてその発想を実行に移す行動力。もちろんただのわがままな何をやらせたところで、自由にしたところで何もしない者も「不登校児」側にいるかもしれないが、それが全てではなく、「不登校児」側に、真の優秀な生徒が潜在しているのだと私は考える。

 そういった「真の優秀な生徒」は社会の傀儡用の操り紐をほどき、自由な発想と行動力で早い段階で領土ゲームを楽しめば良いと私は考えている。この世界はいかに楽しむか、いかに遊ぶでしかない。この世界の本当の設計者が現れない以上、どうしようもないし、もしも本当に設計者が我々の目の前に現れたところで、「嗚呼、この世界?何も意味ないよー、とにかく各自楽しんでー。テヘペロ」的な事しか言ってこない気がする。だって、どう考えても、この世界に御大層な意味なんて隠れてないんだから。もしもそんな徳川埋蔵金以上のお宝が隠れているのであれば、誰かがとっくにみつけているはずなのだから。もちろん宇宙人が以前、この星にやってきていろいろやってくれた説とかもありますが、それについても都合の良いことばかりで、そもそもなぜ、今この星に宇宙人や巨人たちがいないのかという説明をそれこそ合理的にできる人間は誰もいない。

 もちろん、ドラゴンボールやone-piece同様に、創作のお話として楽しくお話することは可能だろう。だけどそれはやはりおとぎばなしの延長に過ぎない。もちろんその「おとぎばなし」を作って領土ゲームに参加し、多くの富を獲得する者も少なくないので、もしも「おとぎばなしづくり」が、"自分"を最大限生かすための人生戦略に成り得るのであれば、その者にとっては作りたいだけ作って発進した方が最善の人生戦略と言える。地球という星と違い、情報という空間は、100年200年では到底埋め尽くせないだけの広大な土地が広がっているのだから。