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原澤出版の執筆用ブログ

3:自我とは何か?ペルソナとは何か?人類総鉄仮面計画

3:自我とは何か?ペルソナとは何か?人類総鉄仮面計画

 

 人類総鉄仮面計画とは何か?と問われてもそもそも「人類総鉄仮面計画」などという言葉を耳にしたこと自体がはじめての人ばかりだろう。というよりも、今私が作った造語なのでこんな言葉私以外誰も知らないかもしれない。だけど、この計画に知らず知らずの内に参加させられている人たちは多いし、世界の人口の9割以上は確実にこの人類総鉄仮面計画に参加していると言っても過言ではない。もしかしたら98%ぐらいの勢いがあるかもしれない。その鉄仮面という牢獄に我々人間は、知らず知らずの内に押し込められてしまっているという事だ。

 もしも、あなたが今この瞬間に、何者かにかつてのスケバン刑事シリーズの麻宮サキのような、漫画北斗の拳に登場するケンシロウの兄のジャギのような鉄仮面を被せられたとしたら、その鉄仮面を自分の顔そのものだと誤解する者はいないだろう。

 だけど、今の自分自身が「鉄仮面であり、それは素顔ではない」という理解をしている人間がどれだけいるだろうか。とか考えると、ほとんどそんな事を考える人間はいないだろうし、そんな事を"大人"たちの前で言い出したら、すぐ精神病院にでも連れていかれてその病院当施設にいる"先生"と皆から呼ばれている存在から、なんかしらのホーリーネームでも授けられるかもしれないので、どこでこの話をするかには細心の注意を払うべきなのだが、こんなところで書き記してしまったので私自身もそういった施設に連れていかれたら、即効サルファレゾルシン処方よりも速攻で聖なる名前を私目は、頂戴することになるだろう。

 しかし、残念ながら社会から「こいつ頭がイカレてる」と思われるようなこの「人類総鉄仮面計画」は、国民の三大義務以上にどうやっても逃れることが出来ないぐらい、自然とそれこそいつどこから入り込んでくるか分からないウィルスの如く、人間を蝕んでいく。鉄仮面を皮膚化させ、まさにその鉄仮面そのものを自分の顔そのものと本気で信じ込ませる。むしろ「それが自分の皮膚ではなくて鉄仮面なのだ。」とか言い出したら、先ほどの事態が起こるという始末。それこそ、「眼鏡はー、顔のー、一部ーですー。」とばかりにキャッチーな感じで、子ども達が楽しく歌ってくれるCMソングのように、「その自我ー、本当はー、てっかーめんーー」みたいな感じで楽しくCMするしか皆、この部分を真剣に考えようという段階まで進むことはできないかもしれない。正直なところ、今の部分は東京メガネのCMに意識が引っ張られ過ぎた感がある。

 だから、東京メガネのCMのメロディとは違うメロディで歌にするかどうかは酒のつまみにでもとっておいて、この「人類総鉄仮面計画」とは一体どういったものなのかを述べていく事にしよう。そこを考えるうえで登場するワードが、「自我」「ペルソナ」という2つのワードだ。まずは辞書に記載されている意味を確認しよう。

[自我]

  1.  1 自分。自己。
    2 哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我。

    ㋐心理学で、行動や意識の主体。自我意識。
    精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。エゴ。

 

[ペルソナ]

《「ペルソーナ」とも。仮面・役柄の意》
1 人。人格。
キリスト教で、三位一体論に用いられる概念。本質において唯一の神が父と子と聖霊という三つの存在様式をもつことを意味する。位格。位。格身。→三位一体
3 劇・小説などの登場人物。また、文学作品の語り手。
4 心理学で、外界へ適応するために必要な、社会的・表面的人格。
5 美術で、人体・人体像。
6 商品開発の際に設定する架空の人格。名前・年齢・性別・趣味・住所などから始め、細部に至る人物像を作りだし、その人格に感情移入することで、ユーザビリティーに優れた製品・商品の開発に結びつける。

  いつの時代も哲学者さま達は、それらをさも難しい哲学用語で説明し、万人には分かりづらい呪文のようなそれこそルーン文字の解読をこちらに要求してくる営みが大好きすぎて参ってしまうが、別にそんな小難しい哲学用語や宗教用語で理解する必要性はどこにもない。ただし、これらは先人たちが、「自分とは何か」という問いに対して導き出した考えの1つなのだろう。「ペルソナ→仮面→役柄→人格」というように、人格とは役柄であり仮面なのだという事を意味しているのはやはり知っている者はこの人格というものが、自我というものが決して皮膚そのものではなく鉄製ではなかったとしても「それは仮面に過ぎない」という事にとっくに気づいていたという事だ。

 では、その顔の一部どころか顔そのものと誤解どころか、疑いもしないレベルで信じ込んでしまう「人類総鉄仮面計画」を画策した者達は一体誰なのか。それは1章で述べてきたような社会であり"大人"たちであり、"宗教"なのだろう。もちろんここには某"設計者"が我々人間に仕込んだ機能も加味してしまっている事だろう。「三つ子の魂百までも」ということわざがあるが、あのことわざを象徴するような機能というか成長システムのようなものが人体の中にある事を今の時代、科学的にもそれらは証明している。

 この本の目的は、1つ1つの事を難しい科学的用語やら、なんらかのエビデンスによって正しい正しくないを示す事を目的としていない。むしろこの本に書かれている内容を全部読む必要すらない。この本は言ってみればそれこそゲームの攻略本と同様に考えてくれればそれで良い。正しいか正しくないかではなく、使えるか使えないかに重きを置いて書かれいるので、これを読むあなたが、実際に自分自身を実験台として検証していき、これまで以上に人生をカスタマイズ、バージョンアップしてもらえればそれで良いと思って書いている。もしも、この本を読んでもっと専門的に調べたい、勉強してみたいという興味関心が沸く箇所が見つかったのであれば、各人でその要所要所を追求、研究してもらえれば、またそこから新たなヒントが発見される可能性は高いので、各人自由に気になる箇所と対話してもらえれば嬉しい限りだ。なので、この「人類総鉄仮面計画」も、これまで先人たちが研究してきた自我のシステムがどうことか無意識がどうとか意識がどうとかという話を書き出すと、それら小難しい本の内容と重複するし、それは「知恵の領域」ではなく、「知識の領域」に閉じ込められてしまうので、私自体はその「知識の領域」で王様になったところで何の得もないので、そこについてそれほど深い言及はするつもりはないので、ご了承を。

 何故、いきなりこのような注意書きを今ここでしたのかというと、このあたりからそのあたりの「専門的に言えばちょっと違うよね。。。」みたいな事を結構述べていくからだ。正直なところ、私はそういった社会の権威を与えられているような科学者でもなければ研究者でもない。もっと言ってしまえばどちらかというと、ただのひきこもりニートと同じぐらいの権威ぐらいしかない。もちろん、この本にもこれまで散々書いてきたが、この世界の"設計者"が与える権威ならばともかく、同じ立場の人間の作った社会の権威だの勲章だのに、その某"設計者"は何の価値も与えていないし、この世界の設計システムの真意などそこには何一つ含まれていないので、まったく気にせずこの本を書いている。むしろ、そのスタンスでこの本を書いていることに大きな意義が含まれているのだ。

 実は、いきなり話が飛んだように見えるこれらの話自体が、その「人類総鉄仮面計画」に大きく関係していたりするのだ。例えば大衆が「本を書く資格を持つ者」というようなある種の暗黙の了解的資格を勝手に創り上げたりする。これもひとつのペルソナというか役割に対する条件付けだったりする。ある仮面のデザインの人間は本を書ける絵柄で、ある仮面のデザインの人間は本など書こうとすら思えず、むしろ「自分などは本をかける立場ではない」と訳の分からないキャラ設定を自分自身に課したりする。もちろん、どんなキャラ設定をするか自体本人の自由ではあるが、もはやそれらが不自由過ぎてあれはダメこれはダメというように、それこ無料テンプレートの中には面白みのないデザインのない街を歩けば似たようなデザインの仮面しか選ぶことができなくなったりしている事実があったりする。

 あるフラクタル的な構造として「科学的根拠がなければ権威がない」というようなこの条件付けのようなものも、ある種の「人類総鉄仮面計画」の内容に含まれている。そうなのだ、私がここで主張したいのは生まれてから思春期まで育つ成長過程におけるペルソナの話"だけ"をしている訳ではない。この章で述べてきた「自分の内側と外側の世界のフラクタル遊び」という観点から、その「人類総鉄仮面計画」の要素は、自分の内側だけではなく外側にも存在している。見渡せばアソコにも空にもいるのだ。それこそそのパターンはメリーゴーランドのようにグルグルグルグル回っている。人間の成長システムだけにペルソナシステムが存在していると考える方が不自然であって、なぜ故に、そんな重たい鉄製の仮面を自分の顔だと勘違いしてしまうかは、その擦りこみシステムが至る所に内在しているからだ。この「人類総鉄仮面計画」が、誰か人間一人もしくは数人が画策したシステムであれば、とっくに人類は鉄仮面を自分で脱ぎ捨て、それこそ自分の顔ぐらい好きな顔にカスタマイズして生きている事だろう。だけど、そうならず長きにわたって多くの人間達がその"鉄仮面"を自分の顔だと勘違いして生涯を全うしてしまう原因は、その「鉄仮面システム」が自分の内側にも外側にもそのピラミッドシステム、イス取りゲーム、領土ゲーム、この世界のどこもかしこもに内在しているからに他ならない。そうでなければ、こんなにこの「人類総鉄仮面計画」なる催眠術が世界中にかかるわけがない。それこそ、生きているだけでその催眠術がいつでもどこでもかけられている状態で、それはもはや自分の身の回りにある空気と大差ない位自然に充満しているという事だ。

 では、なぜ筆者はその罠に気付いたのか?そこに矛盾を感じる者は多い事だろう。そんなに自然に充満している催眠術的作用になぜおまえは気づけたのだ?それこそ私は、ノドぼとけでも小刻みにチョップしながら「実ハ、ワタシハ宇宙人ナノデス」とでも言いだし始めるのだろうか、と。残念ながらちょっとやってみたい気持ちも拭えないが、まったくもって私はふつーの人間であり、地球育ちの日本人だ。それなのになぜ、このような仕組みに気付いたのか?それにはひとつのコツのようなものがありそれらの手法については最後の章で説明していくので、知りたい方はこの章を読まずに、3章の内容を参照して大事なところは、朝起きたら声に出して三唱してもらえたら非常に嬉しい。

 さすがに「人類総鉄仮面計画」などというトンデモ話をしてしまったので、次の項では、とある実験のお話を元にこの世界というか社会が、どれだけ「人類総鉄仮面計画」という毒ガスが充満した社会であるかを考察していこう。