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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

4:自分の外側の世界側からいじるコスパの高い三大自分メンテナンスとは

4:自分の外側の世界側からいじるコスパの高い三大自分メンテナンスとは

 

 実際、自分の人生を振り返ってみると、良い時期と悪い時期が真っ二つに分かれているような人生だった。正直なところ、幼少期の私は今振り返っても相当能力が高かった気がしてならない。それこそ、何をやらされても大体のことはできた気がする。

 しかし、それがある時を境に、「何もできない」とまではいかなくとも、「できること」と「できないこと」に分類されていったような気がしてならない。正直なところ、それらについて私は納得がいかなかった。もちろん、その理由は「昔だったら何でもできた」からだ。

 そして、生きていればそれこそいろいろな"大人"達から優秀だのそうじゃないだのという評価をされ、レッテルを貼られる。今となってしまえばたかが人間ごときに何を評価されたところで気にもならない。だって同じ人間なのだから、それは各個人の趣味と同じレベルでの「好き嫌い」を述べているだけであって、"設計者"から見た、自分の存在が、この世界にとって優秀であるかそうではないのかという評価と一切の関係がない。
 だけど、不思議なのだ。あれだけ何でもできたのに、これだけ出来ない事ばかりになってしまうというのは。子どもの時の自分も、大人になった自分も、同じ人間なのにそんな事が起こるものなのか。もちろん現実として起こったのだけど、納得はいかないし、何か理由がある。私自身の人生は、「何故、こんなにも「自分の外側の世界」の純度が下がるのか?」というNAZOを説くための旅であり、冒険だったのかもしれない。
 その冒険に対してはとりあえず数年前にある程度の終わりを迎えることになる。 自分なりにはそれらのNAZOは解明の方向に向かったし、幼少期ほどではないかもしれないが、「なんでもできるモード」を取り戻すことにも成功した。個人的にはもっといけると思っているが、最低限ここまで戻れば問題はない。というところまでは戻れた気がする。それこそ「自分の内側の世界」の領土を回復させることによって、「自分の外側の世界」の領土も回復したという事が言えるし、それを証明したと言っても良い。と個人的には思っている。
 「名選手名指導者にあらず」という言葉がある。もちろん絶対ではないが、そういう傾向がある事も間違いではない。その理由は明確で、「名選手」は挫折なく、なんでもできてしまう為、どう導くのかという方法を知らない。選手としては優秀でも、指導者としてはそれ程ではないという人間は結構いる。そして選手としてはそれ程ではなかったのに、指導者としては優れている人間もいる。

 もしも私自身、あのままずっとできる人間のまま大人になってしまっていたら、おそらく出来ない人たちの気持ちは分からなかったし、その辛さみたいのも分からなかっただろうし、それこそ何かを教えたり指導する能力は極めて低かった可能性が高い。
 だけど、お陰様で「できる」時代と「できない」時代を経験した私は、人に何かを教えることに関しては、かなりの自信があるし、結果も出してきた。その理由はこれまた明確で、「できない」という事はどういうことなのかを徹底的に研究したし、「なぜ、できないか」というその状態と徹底的に向き合って、「できる」を取り戻すことができた。つまり、私が「できる」から「できない」に堕ちてしまい、そして再び「できる」を取り戻したその過程のすべてが、指導スキルであり、指導ノウハウに直結している。

なぜならば、多くの人達が現在苦労している事は、私が過去に苦労していたことに他ならないからだ。そして、私自身以前2歳児から大人まで各年代の方達に約二十年間指導をしてきた経験がそこに上積みされた。
 特に「子ども」達に指導した経験が非常に役に立っている。何故かというと、彼らは言葉を知らない。いくら名指導者だったとしても、子どもに「大人の言葉」で説明したところで何も伝わらない事などそれこそ「当たり前」なのだが、こんなことすら、疑わずに言葉が分からないお前らが悪いのだ。とばかりに、ひたすら子ども達の前でヒトラー顔負けのような演説をする自称指導者たちが実は少数ではなく、結構大勢いたりするので、子ども達も大変な環境を生きているのだけど、やっぱり指導というか、コミュニケーションというのは、相手の地平で話すことが重要であり、「伝わってナンボ」というこここを忘れてしまっては、元も子もない。「なんで分からないんだよ!」「何度言ったら分かるのよ!」何度言っても分かる訳がない。「その言い方・伝え方では分からない」から伝わらないし、何度言ったって同じ結果なのだから。

  実は、この「伝わってないのに自分本位で伝えて、伝わらずにブチキレてる大人」みたいな人たちは、沢山いる。子どもにとっての親であったり、会社の中では、社員にとっての上司かもしれない。

 では、人間にとっての〇〇。神さまでも"設計者"でもなんでもよいのだけど、その"上司"は我々にうやってどうやって、伝えてくるのかというと、ひたすらダンマリを続けているだけで、人間世界のそれら"大人"達の様にな態度も取らないし、何も言ってこないのだ。もしかしたら、それこそが一番残酷な指導方法なのかもしれないが、もしかしたら一番愛情深く、我々を見守ってくれている可能性もある。

 何故、こんな事をこの項の冒頭で述べたのかというと、一言で言うと、「大事な事って伝わらない」んですよね。ということに他ならないからだ。今から、私が約三十年間いろいろもがいてもがいた結果として辿り着いた、自分の外側の世界側からいじるコスパの高い三大自分メンテナンスとはという部分に言及していきますが、おそらく伝わらないと思います。そして伝わった人というのは、それらの事をすでに取り組んでいる人なのかなと。
 たとえば「タバコはやめた方がいいよ」と喫煙者に言ったところで、まず誰かに言われたからタバコ辞めました。なんて人は皆無に近い気がする。もちろん喫煙者でタバコをやめた人もたくさんいる。そのきっかけというのは、「自分で気づいた時」なのではないだろうか?なので、人は誰かの説教を受けて、何かの改善をするなどというケースはほとんどないのではないだろうか。もしあるとしたら、そこに何らかの下心が疼くような何かが紐づいている状況でしか、考えられない。

 実は、今回偉そうに、自分の外側の世界側からいじるコスパの高い三大自分メンテナンスとは的な事をお話しますが、これらが大事だとおそらく私自身何度も言われたことがある気がする。だけど、すんなりその時「はい分かりました。」なんて言った覚えもない。今となっては、これらのことを重要だと思っているので、もはや誰からどんな説教を受けて、それらの話を右から左に受け流していたかは都合よく忘れてしまっているが、誰かに言われて「はい、左様でございますか。畏まり致しましたで候。」的に、素直にやった訳ではないのだ。

 なので、「ふーんあっそ」程度で受け流される可能性は大だが、それで良いし、そうにしかならない。よく両親が口酸っぱく注意してきた事を「うるせー」とばかりに聞き流していたが、自分が大分歳をとって来てから「嗚呼、そういえばいつも親に言われてたな。。。」なんてふと走馬燈てが浮かぶ的な感じで浮かんだりして、結局は自分で気づいた時、コミットとした時にしか人は変わらないのだけども、それらは無駄ではなくなんらかのくさび的役割は果たしてくれると信じている。もしかしたら何人かには届くかもしれないし、たった1人にでも届いてくれたら至極幸せだなって本気で思いますね。

その1:姿勢力

 姿勢というと「背すじ」的な事をイメージする人が多いと思うが、その「姿勢」の事だ。もちろんこの「姿勢」は背すじ以外の「何かの臨む姿勢」というメンタル的な意味合いも含まるが、分かりやすく言ってしまえば、フィジカル的な要素の「姿勢」を改善すれば、人生の純度は極めて高くなる。乱暴な主張になってしまうかもしれないが、「姿勢を改善すれば、人生が改善されていく。」という程の効果の高さがある。

 前の項では「基本的には「「自分の内側の世界」の領土を回復させる事」が一番人生の純度を高めるには良い方法だ。と述べたが、一番基本であり、効果も間違いないのはそれなのだが、これに関してはやはり難易度が高い。しかしこの「姿勢を改善する」というこれに関しては、「自分の外側の世界」の物理的な話のため、意識すれば誰でも出来る。

 と、言うは易し、行うは難し。人間生きていく中で姿勢は悪くなっていく。意識的に良い姿勢を保つことは非常に難しい。その為、かかりつけの医者であったり、優秀な顧問弁護士同様に、姿勢という部分でメンテナンスをしてくれる優秀な施術家を見つけておくことをおススメする。特に、首、背中、腰は人間の背面にあるので、自分自身でなんとかしようとしても出来ない部分なので、やはり、誰か腕の良い施術化にメンテナンスしてもらうのが無難だろう。

 もちろん、姿勢が悪くなったら施術家にお願いして直してもらえればそれでいいという考えでは、なかなか人生の純度は上がっていかない。自分自身で体幹トレーニングなどをして、姿勢を保てるだけの筋力を維持する事も必要だ。

 そして、効果についてだが、これは実感していない人にいくら言っても「姿勢がよくなったところで人生が良くなるとか。。」と失笑されて終わってしまうケースがほとんどだったりする。もちろん、そういう人たちの姿勢はいまいちな姿勢で、人生の純度もそれほど高くはない。それとは反対に、姿勢の良い人間、自分のフィジカル面でのメンテナンスをしている人間の人生の純度は高い人間が多い。

 たとえば、ずっと下を向いている人間であったり、物凄い背中が丸まっている人間の人生の純度が高いはずがない。姿勢のゆがみが何故起こるのか?「「自分の内側の世界」と「自分の外側の世界」がリンクしている説」が本当に正しければ、それは自分の内側の世界の「何か」をその姿勢という物理的な現象で投影していることになる。では、仮説で構わないので、あなたの自分自身 のその姿勢は、「自分の内側の世界」の何を投影しているのかを予想してみよう。そうすれば、自分が抱えている「何か」に気づくことができる人も出てくる事だろう。

 まず、腕の良い施術家が姿勢を改善した時に、どういう変化が起こるかというと、とにかく動ける。動きやすいという状態を知ることになる。それがその人の持っている「本来のパフォーマンス(できる力)」であるという事だ。つまり「できる奴」と「できない奴」の差は、この「動き」の差にあると言っても過言ではない。「動けない」原因は姿勢が歪んでいるからで、その「動きづらい」という感覚が、「自分の内側の世界」にもずーっとインプットされ続けるのだから、「自分の外側の世界」でもそんなに軽やかに身動きが取れるはずがない。もしも、姿勢を崩したまま、なんとかやり過ごそうとすると、甘いものというか炭水化物などを摂取しまくって、脳をだまくらかすしかないが、首よりも下側の臓器は騙されることなく、常に強制労働を課せられるので、姿勢は悪いわ、内臓の状態は悪化するわで、ほぼその人間の人生の純度は下降の一途をたどることになる。

 この部分に関して、実感する為に一番楽な方法のは優秀な施術家に施術してもらって姿勢を改善する事だ。1,2回受ければすぐこれまでの自分との違いに気づく事だろう。もし、自分自身の力でなんとかするのであれば、普段から姿勢に気を付けて生活する事、ストレッチや体幹トレーニングを日々して、姿勢が崩れないだけのフィジカル能力を保持することが重要だ。

その2:移動力

 まさに「移動する力」のこと。やっぱり「引きこもり」状態というのはなかなか人生の純度が上がらない可能性が高い。たしかに1つの事をずっと深堀している職人気質の者の中には移動力がなくても、人生の純度が高い人間も中にはいるが、基本的には移動力の高い人間は、人生の純度が高い傾向にある。この移動力については、まさに「「自分の内側の世界」と「自分の外側の世界」リンクしている説」そのものだ。

 移動範囲を「自分の内側の世界」の領土の広さと置き換えてみると分かりやすい。「自分の外側の世界」において、あなたが自由にいろいろな場所へ移動することが出来るのであれば、あなたの「自分の内側の世界」の領土の面積は広くなっていると考えてよい。と、いうことは領土が広ければいろいろなものが豊富に手に入る訳だから、「自分の外側」の世界においてもいろいろと豊かな人生を送ることが可能になっていると言えるわけだ。

 「そんな馬鹿な。」とあなたは思うかもしれないが、たかが移動なので、実践して本当に「自分の外側の世界」が変わるのかどうかを試してみれば良い。もしかしたら、あまりの移動の出来なさに落胆する者も少なくないだろう。もっと酷いのは大して移動していないのに、移動するつもりになっちゃってる人達なのだが、まあここはしつこくなるが、「当たり前」という毒牙にかかってしまって、毒が充満しちゃっている人間にはやはり孤独が待っているということになる。移動できないのだからしょうがない。それは、「自分の内側の世界」の領土が狭いことを意味しているので、土地が狭ければ収穫高が低くて当然なので、「自分の外側の世界」の収穫高が低い、現実が投影されている事だろう。

 「自分の外側の世界」において、この移動力アップの実践を楽しくかつ、いろいろとコスパ高くやっていくのに最適なのが、旅行だとしか言いようがない。とにかく、ワンパターンではなく旅行しまくることによって、勝手にあなたの「自分の内側の世界」の領土の面積は増していく。移動するだけでも効果はあるが、とにかくパターンを変えて旅行を楽しむ。それが出来れば、姿勢改善同様でコスパの高い人生の純度アップを実現することが可能になるのだ。

 その3:人格を変える(誰かになりきる)

 これまでの「姿勢」「移動」と比べるとなんだかちょっと意味が分からない感じがするかもしれない。「人格が変われば運命が変わる」という言葉があるように、運命とは人格から投影されているものだと考えてそれほど間違いはない。であれば、人格を変えてしまえば、あなたの運命は変わる。つまり人生の純度が変わるという事だ。では、どうすれば人格を変えることができるのか?それは役者・俳優のように演じるしかない。そして、今あなたが「これが自分だ」とか「自分らしい」とか考える"自分"も、前述したように鉄仮面である可能性が高い。だけど、もちろん何十年も同じ人格で生きていればそれを「演じている」という理解をする事はできないかもしれない。であるならば、演技でも良いから、別の人格を演じてみてもらいたい。その演じていた別人格の自分を自分だと錯覚するぐらいまで演じ切ってもらいたい。するとどうなるか、鉄製かどうかは分からないが、新しい仮面が出来上がる。つまり人間はそういうマスクマンみたいな状態で、どういう状態のマスクをかぶって生きているかというだけなのだ。そのマスクの質が人生の純度だと思ってもらっても良い。

 なので、マスクを取り換える気持ちで別人格を演じてもらいたい。そうすると、あら不思議。いつもとは違う人生が、あなたの目の前に現れてくれるのだ。

 実際に、「人生の純度」が上がるとどうなるのかというと、「別のバージョンの自分」が現れてくる。それは自分の人格が変わったのと同じだ。よく、いじめられっ子がボクシングの世界チャンピオンに生まれ変わるストーリーが実際にあるが、あれも「いじめられっ子のバージョンの自分」が「世界チャンピオンのバージョンの自分」へと生まれ変わった。つまり「人格が変わった」と言える。

 これは某引き寄せの法則に通ずる部分があるが、今の自分である原因は、すべて今の自分にある。口癖、姿勢、行く場所、飲むもの食べるもの、付き合う人間、やる事など、これらを変えればそれこそ当たり前のように、あなたの人格は変わる。人格とは「原因と結果の法則」で考えれば原因なのだ、あなたの人生という結果を招いた原因とは、その人格にある。であれば、人格を変えれば、人生という結果が変化するのは当然のことだ。

 もしも、自分の人生がどうしようもなく、立ち行かなくなって呆然としするしか手の打ちどころがないと思うような事があれば、それは「その原因をニギシメた上での人生戦略の上では」ということであり、今あなたがニギシメているその人生における「原因」を捨ててしまえば、新しいバージョンの「原因」が手に入る。そうすれば新しいバージョンの結果がやってくる。それを繰り返し続ければ、あなたは成功したのも同然だ。もしも今、あなたが今のバージョンの自分の人格を捨てる勇気と覚悟が備わっているのであれば、公然と、過去の人格と決別し、新しい自分の人格で生きてみる事をおススメする。それこそ、このチャレンジに関しては、10回も必要がない。おそらく1発ヅモでアガる可能性の方が高い。