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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

7:「海賊王に俺はなる!」ではあなたは何になる?~実際に旗を揚げてみよう~

7:「海賊王に俺はなる!」ではあなたは何になる?~実際に旗を揚げてみよう~

 

 ここまでこの本を書いてきて、"自分"を最大限生かすための人生戦略についてのベクトルについてはもう議論の余地はほとんどない。もちろんその部分について反論しようが、反発しようがそれらについては、もちろん我々人間は選択の自由を与えられているが、星の軌道であったり回転する向きを変えることができないのと同じで、逆らったところでそれほど特段凄い事が出来る訳ではなので、やはり流れには逆らわずに乗った方がサーフィンと同じで楽しめると少なくとも私個人は考える。

 ではその新大航海時代に参加し、新大陸の発見など新時代の領土ゲームを制するためにはただ船に"将軍"と"軍師"を同乗させ、自分の夢であれ目的に同情させて手伝わせればそれで成功するのかと言えばそこまでレンジでチン的に簡単に出来上がったりはしない。だけど、それほど難しいものでもない。

 新大陸発見のための航海を成功させるために必要なものは、この他に何が必要なのか?それは「あなたの船に旗を揚げる事」だ。これは新大陸を発見し、その土地を自分の領土として統治する事においても非常に重要になってくる。それこそ、「ここは自分の家だ」「ここは自分の庭だ」と決まっているから、知らない奴が侵入して来れば不法侵入的な話になる訳で、やはり何もない土地に誰かが入ってきたとしてもそれこそその者は、その土地に対して自分のものだと権利を主張してくるかもしれない。

 その為、何事においても「旗を揚げる事」は必要であり、それこそ旗を揚げなければ過去同様の1つのパイを奪い合う血みどろのイス取りゲームに巻き込まれてしまう危険性も高いのだ。そしてもう1つ。旗を揚げない限り、航海においても領土ゲームにおいても成功しないような仕組みになっている。なのでもはやこの"旗"については、遠足のしおりの中に所持品として書かれていようが書かれていなかろうが、絶対に持っていかなければお話にならない代物なのだ。そして他人のつくった"旗"を代用品にしてもそこに関してだけは絶対に代用できない代物でもあのだ。

 「旗を揚げる?そんな簡単な事で人生の純度が上がるのであればとっくに上がってるよ。」とあなたは苦笑いを浮かべるかもしれないが、残念ながら多くの人間達は、旗を揚げる事を頭の中では簡単に思っていながら、実際には全くできていなければ、「旗を揚げる」という一線を越えることができない。それこそ、そんなに簡単ならば唐揚げやコロッケを揚げるかのように揚げてみれば良いのだ。だけど、口ではそれこそ勇ましいのだが、行動するという段階においてそれこそ多くの人間達はビクビクとおびえる小動物のように弱弱しくなってしまうのだ。「そんな事だったら世界はとっくに成功者だらけだ。」その通りで、そんな事が出来ない者だらけだから、こんな世の中になってしまっているのだ。「旗揚げなど簡単だ」と言っているものほど、旗揚げをしているのは自分の内側の世界で、ボソッとそれこそフォロワー0人の場において呟いた程度あり、少なくとも1億2千万人の前で、声高々に宣言して旗揚げをしたわけではないだろう。それこそ、あなたの「旗揚げ」について、誰が2ちゃんねるで取り上げてDisってくれたりいじってくれたりするというのか。「旗揚げ」というのはそういうことで、自分の心の中で呟いた程度では旗が立ったとは言えない。慣れてくればそれでも良いのかもしれないが、「当たり前」という毒牙にかかってしまった人間達が、「これで良い」と都合よく思えばそれこそ、そんな都合の良い人間が載っている船は、かちかち山でおなじみの泥船に決まっていて、しかもそこは大海などではなく底なしの泥沼でただひたすらズブズブと「自分の都合」という狭い世界へと沈んでいくだけだ。

 原始的に火を起こす時に煙を燻ぶらせるのと同じように、飛行機が離陸するときに一番エネルギーを要するのと同じように、その航海の道中に割くエネルギー以上に、何よりも濃いエネルギーを割くべきことは、この「旗を揚げる」ということなのだ。

 それでは、具体的にこの人生戦略というコンテクストにおける「旗を揚げる」というこれは一体何なのか?それは"コミットする"という事だ。そして、それを力いっぱい"宣言する"ということだ。もしかしたら"宣言する"必要はないのかもしれない。何故、私が"宣言する"ことを旗揚げの要素に入れているのかというと、それは人間が「都合の良い、過去の自分にしがみついてしまいがちの弱い生き物だから」という理由においてだ。それこそ、あなたは「〇〇をやる」と自分の心の中程度で宣言してそれらのすべてを達成したのだろうか。私は、それらのほとんどがいつの間にか「なきもの」にされていて、「あの時のあれはどうしちゃったの?」というような事になっている。むしろコミットし、宣言したとしても、ひと月もしない内になきものになることなど多々あるのに、宣言もせずに自分の都合でコミットしたつもりになっていた程度で、新大陸を発見するようなマッチョな航海であれ冒険をする事などできない。

 それこそ、過去の自分という鉄仮面をやはり「これが自分」だの「これが自分にマッチした人生」だのと言い訳をし始めて、船出する前の港に戻り、いつも通り皆と酒でも飲み交わして、それこそ冒険だの新大陸だのの話をなきものにしてしまうのがオチだ。だから世界はこの位しかバージョンアップしていかない。ほとんどの者が、新大陸発見の為の領土ゲームではなく、先輩たちが退場した後のイスを取り合う為の領土ゲームの為の人生戦略ばかり考えて、三十年に一回、五十年に一回だの的な某彗星がお目見えする機会同様のチャンスがやってくるその日だけをひたすら待ち続けているようなあまり面白みを感じないゲームに自分の生命のAllbetしてしまっているからだ。

 過去の大航海時代と今の新大航海時代の大きな違いは、「失敗したところで命までは奪われない」ということにある。言い方を変えれば「何回でもチャレンジできる」ということだ。過去の大航海時代はそれこそ本当の意味で命がけだった。それこそその航海において命を失った者も少なくない。だが、今の時代のこの新大航海時代では、いくら航海にチャレンジし、いくら失敗したとしても命を奪われる事は無い。だから、何度でも旗を揚げて、新大陸発見のためのチャレンジをひたすら行えばよいのだが、実際のところはどうなっているかというと、ほとんどの者達が、今既にある大陸の中で確実に存在する領土の奪い合いをする事を選択している。人は先駆者になる勇気、ファーストペンギンになる覚悟を持ち合わせていない。「誰かがやってくれたら自分もやる。」確実に二匹目のドジョウを手に入れる事には躍起になるが、一匹目になるリスクを負うことができない。それは、命を失わないようなこの状況においてもだ。もちろん「一番初めに毒見をする」というこの所業においては、実際物理的に心臓が止まる恐れがなくても、自分の脳内では「誰もやったことをやる→生命が非常に脅かされる」というインプットが完了されていて、まさにその部分においても我々人間はすでにパブロフの犬状態なのかもしれない。

 だけど、よく考えてみてもらいたい。「自分の内側の世界」の大航海において、人の心臓が止まることもなければ、生命を脅かされる危険もないのだ。それなのに、感覚的に「誰もやったことをない事をやる→生命が脅かされる」という自動コマンドがそれこそ、Windowsという皮を引っぺがしたその内部にあるDos側で入力されて実行されているとしたら、それはもはや「自分以外の"何もの"か」に自分の人生であれ、生命をコントロールされているのと同じではないか。この「自動ブレーキ機能」はちょっとどれもこれもにかかりすぎてしまい、自分の危機に対するブレーキだけではなく、自分の人生であり生命そのものに対して、ブレーキをかけ過ぎてしまっている。「アクセルとブレーキの同時踏み」などという事をどこかで述べたが、それこそ、自分の意思でブレーキを踏んでいなかったとしても「人間に備わった生命維持機能」という自動ブレーキ機能が効きすぎてしまっていて、いくらアクセルを踏んだとしても、勝手にブレーキが踏まれていて、多くの人間達は自分の未発見側の世界へと足も意思も向けることができず、それこそ牛の歩みのような鈍いスピードの人生を歩むというよりもほとんどその場にとどまるような状態なので、もはや人生を進むための足は機能と役割を失い、その足は壊死してしまうかもしれない。そうなる前に自分で自分の意識をコントロールするという「あと一押し」が必要になってくる。

 自分の人生のハンドルを自分で握るためには、誰か人任せにしているようでは、別に他人の誰かが足を引っ張る引っ張らないに関係なく、あなたの人生が何か発展的に進んでいく事は無いだろう。それは先ほど述べた貴方の中に搭載された「優秀な自動ブレーキ機能」がしっかりと効いてくれているからだ。セキュリティ機能が優秀であれば、それは外敵からは守ってくれるかもしれないが、セキュリティが効きすぎて自分が外出することもできなくなってしまえば、それはもはや誰のためのセキュリティであるのかも分からず、自分自身の殻という名の独房に閉じ込められ続けることになってしまう。

 ブレーキ不要とまでは言わないが、いつでもどこでも勝手にブレーキがかかってしまうような人生は、やはり臆病者としか表現のしようがない。もちろん他人があなたの人生を見て、「そこでは踏まないだろ」と思ったところでブレーキを踏んでしまったとしてもそれはそれで良いのだ。だけど、大事な事はここも同じで、「ブレーキは自分で踏みたい時に踏む」というここなのだ。これが「人が旗を揚げることができない原因」なのだ。だから自分の頭の中で「旗を揚げる?何をそんな事」と思っているのに旗を揚げられない原因だ。自分の意思とは違う「自動ブレーキ機能」が勝手に働いてしまうのだから。

 ということは、「旗を揚げる」為には何よりもこの「自動ブレーキ機能」をOffにする必要がある。その為にはどうしたら良いか?原始的な方法なのかもしれないが、それは自動ブレーキ機能をぶっ壊すしかない。いくらブレーキをかけてこようが、その自動ブレーキ機能が効かなくなるまでアクセルを踏み続けるしかない。これは自分の意思と、その自動ブレーキ機能の根競べそのものだ。自動ブレーキの奴が、もうこいつは無理だと音をあげるまでアクセルを踏み続ける。その為には、何かにコミットし、宣言し、自分の中にある「生存欲求」に対する自動ブレーキがバカになるまでひたすらチャレンジを繰り返す。ここはしつこく述べておくが、この新大航海時代における航海で、あなたは命を落とす事は無い。なので、それこそスーパーマリオを楽しむのと同じように何度でもチャレンジすれば良い。

 まずは、自分のこれまで住んでいた小さな島から旅立てるように、「自分の内側の世界」にある大きな壁を破壊しよう。それが出来れるまで、何度でも旗は揚げ続ける。もちろんここにおいても「10回チャレンジすれば絶対成功する」という私の個人的法則は適用されている。とにかく、旗を揚げて、船出をしてみよう。