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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

9:新大陸を自分の領土にしていく方法について~実践・領土ゲーム~

9:新大陸を自分の領土にしていく方法について~実践・領土ゲーム~

 

 新大陸を自分の領土にしていくには?まず、領土には3つの条件が合った。それが1領土2国民3主権の3つの要素だ。実際に新大陸の発見の方法はそれほど難しくなかったりする。それは何かというと、"軍師"と一緒にひたすら仮説を立てて、対話を繰り返すことによって新大陸は見つかる。その「仮説」という新しい土地に、国民が根付き国として統治されていくかどうかが問題になる。不毛な大地に人がよりつくことはまずない。

 そして、現在暮らしている国よりも主権が魅力的ではない見ず知らずの土地に、人々が移動してくることも考えられない。何故、当時イギリスからあんなにも新大陸へと移動していったのだろうか。もちろんこれだけが理由ではないが、過去住んでいた国や大陸にはない「新しい何か」があったからだ。なかったとしても「期待する新しい何か」は確実にその人々の脳内の世界には存在していた事だろう。何もないだけにもしかしたらその「主権」そのものを移動していった者達で創り上げていったのかもしれない。

 そもそも、歴史の浅い某大国が何故世界の覇権を握る事が出来たのだろうか?おかしな話である。それこそポッと出の新人が、一気にチャンピオンに成り上がって世界を牛耳ってしまったようなお話なのだから。それは、むしろ「歴史がないから自由に国を作る事が出来た。」とも言えるだろうし、「しがらみがなかったから自由にできた。」とも言える。ここにも領土ゲームを制するためのキーワードは"自由"であるのではないだろうかというヒントが浮かび上がってくる。制約があればあるほど、国も人も育たないと予想できる。これについては、某大国だけに見て取れる結果ではなく、日本国内においても発展している「何か」は、常に「自由で、そんなに何かのしがらものない制約のないもの」である事が多く、むしろ、歴史にあるような「何か」については、いくら自由に制約なく改革を進めたところで、ほとんど失敗の一途を辿ることになっている。

 本来は本気で何かを変えたいと思うのであれば、ポーカーゲームなどで手持ちのカードをすべて捨てて交換するかのように、「全とっかえ」をしてしまえば良いのだ。良くも悪くも、その世界は大幅に変わる事だろう。個人的にはこの「全とっかえ」によって悪い方のベクトルを向いて進んだケースを見たことがない。その反対に旧体制をニギシメて、衰退の一途を辿ったケースは枚挙に暇がない。

 新大陸の最大のメリットは、「歴史に左右されない」というここにある気がしてならない。世の中を変える三大要素は1よそ者2若者3馬鹿者などと言われているが、まさにそれは「その土地の歴史に左右されにくい存在」であるからだ。つまり「常識」であり「当たり前」に左右されない状態にある者と言える。

 ここでもう一度自分自身に問いかけてみよう。「自分は何らかに左右されていないか」と。過去の自分であれ、"大人"たちが積み重ねてきた常識という歴史であれ、まわりの空気であったり、自分の外側の世界に存在するものの中には、いろいろと自分の人生を左右してくれる邪魔者候補生達が数多く存在している。だけど、それを邪魔者とするかしないかは、それらの影響力ではなく、自分がそれらに左右されてしまうような弱い人間であるかどうかでしかない。他人に何を言われようが、まわりから後ろ指をさされようが、それこそ石を投げつけられたとしても、気にしないだけの強靭な精神を持っているかどうかが問われているだけで、別にこの世界というゲームにおいて、どれだけすごいとんでもないハンマーブロスみたいのが複数出てきたとしても、それ以上に自分が強靭であればそれで良いし、それが面倒くさければ誰もいない新大陸を発見して、魅力的なそれこそ人々が移民したくなるような魅力的な何かを作りさえすれば、人は集まってくるのだから、その何もなかった土地は魅力的な領土へ変貌し、領土を治めるあなたにとっても、集まってきた国民達にとっても幸せであれ、豊かさを提供することになる。

 新大陸を発見し、その土地を魅力的な領土にするためには、あなた自身が魅力的な人物である必要があるという事だ。それこそ、何にも左右されない状況下において、何をやっても良いというのに、人々に魅力的な何かを発進する事も提供する事も出来ないのであれば、そもそも領土ゲームに参加したところで何か特別なものを得る事は無い。

 もちろん、はじめはそれでも良い。何の制約のない新大陸において、自由に自分の主権によって自由気ままに国を創ってみれば良い。そこに人々が集まって来れば、あなたは自分の領土を拡大する事に成功したということになる。それを繰り返すことで、あなたの領土はさらに強大なものになっていく。「自分の外側の世界」においても、あなたの存在感は強大になっている事だろう。もちろん大きければ良いというものでもない。あなた自身にとって理想の領土を作り、統治して行けばそれで良い。

 では、最後の問題であり、関門になるのは言う間でもなく、魅力的な人間になるにはどうしたら良いか?ということだ。もちろん、ここにおいても大活躍してくれるあなたにとっての最強の同胞は"将軍"であり"軍師"の両者である。この2人はあなたを裏切ることがない。あなたが裏切ることはあっても、"将軍""軍師"があなたを裏切る事は無い。徹底的に自分を世界を疑い、徹底的に自分と世界と対話していく事で、あなたの人生の純度は輝きを増していく。それらは言い方を変えれば「可能性を徹底的に信じる」ということだ。

 「自分の外側の世界」にある商品たちで考えればそこについては想像しやすい。自動車にしても携帯電話にしても、あれらが日進月歩の勢いで進化し続けているのは、やはり"将軍"と"軍師"の活躍によるところが大きい。もしもこの2人がいなければ、どのようなものも、それほど進化していない事だろう。新しい技術は、良くも悪くも"古きもの"を踏み台にして弁証法的に進化する。そこには「疑い」「対話する」というこの両者が介入しない限り、この世界の中でバージョンアップを果たし続けることは出来ないだろう。

 これは人間にとっても同じで、誰かが「できる」と信じて挑み、過去の世界記録を更新する事にコミットしチャレンジしない限り、それらの世界は更新されない。そして誰かがその古い世界をぶっ壊してくれたら、後続の者たちも新しい世界をそれこそ当たり前のように受け入れるのだ。

 この世界はそうやって更新されてきた。いつの時代もその時代において「そんな事は無理であり、チャレンジする事自体が無駄。」と非難されてきたことに、それこそ「世界の良識・常識」に左右されずに立ち向かい続けたことによって、「自分の内側の世界」も「自分の外側の世界」も地図を書き換えてきたそれこそ歴史がある。おそらく「そこに意味はない」のかもしれないが、実際その地図を書き換え広げてきた先人たちの偉業に対して「だけど結局は意味ないんだけどねぇ。」とか偉そうに私は言いたいとは思わない。もし意味がなかったとしても、それらの世界地図を書き換え広げていく事に意味を自分で持たせれば良いと思っているし、それについてお釈迦さまが鼻であしらおうが、"設計者"がまったくもって評価をしなかったとしても、気にせず世界地図を書き換えるためのチャレンジをすれば良いと思っている。もちろん"設計者"がそれらについて賞賛してくれる可能性もある。「振り回されずに振り回される」「振り回されながらも振り回されない」そうでなければ、それこそこの世界を作って、我々をジェットコースターやらお化け屋敷やらに入れて楽しむ必要もないのではないか。

 もちろん、"設計者"本人にその意図を聞かなければ何が正しいかなど分からず、結局のところは自分の内側の世界にいる"神さま"にでも「そこんとこどーなのヨ?」と聞くぐらいが精いっぱいだろう。もちろん詰まる所それらは自己満足の領域から出ることは出来ない。

 とは言え、それらがやはり無駄であるとも言いきれず、自分をとことん磨き揚げることで自分自身の人生の純度にしても生命力にしても輝きを増すことは間違いないのだ。もちろん、"設計者"は河原の石ころにも何億円もするダイヤにも同等の価値を与えたであろう。しかし、1-1のクリボーと8-4のラスボスクッパでは我々にとっては価値が違うし、自分の人生においても"石ころ"バージョンの自分の人生と、"ダイヤ"バージョンの自分の人生ではやはり価値が違う。

 と書いたところで、お釈迦さまが言うように「別に。。。」という事なのかもしれないが、もしもあなたが"ダイヤ"バージョンの人生を望んでいるのに手に入らないのであればそれはおかしな話だとも言える。「なんでも良い」のであれば、何を選択しても良いのだ。それなのに何かが選択できないというのは何かがおかしい。もちろん自分の外側の世界の"ダイヤ"を追いかければ追いかけるほど、おかしな方向に進むことは多々ある。だけど、逆に言えば「自分の内側の世界」で、"ダイヤ"を選択できない状態というのは何かがおかしいのだ。それこそ何らかの「制約」を自分のどこかは受けてしまっているのだ。A~Zまでのタイプ、それ以上の無限のタイプの「自分の人生」のバージョンをそれこそ自由自在に選択できる状態での「なんでも良い」と、3つしか選ぶことができない不自由な人生の純度における「なんでも良い」では同じ「なんでも良い」であっても何かが違う。それは詰まる所同じだったとしても、何かが違う。

 そしてお釈迦さまが「詰まる所なんでも同じ」の領域に達していたとしても、私自身はその先にある何かを見つけ出してみたい。それが見つかったとしても「詰まる所なんでも同じ」だったとしても、この世界の世界地図は徹底的に書き換えてみたい。だって、それを繰り返すうちに"設計者"の何かがその更新された世界地図の中に見キレてくる可能性だってあると思うし、ある世界とない世界のどちらを信じても良いのであればある世界を信じてチャレンジし続けてみたい。それが誰でもできるようになったのが新大航海時代であるのだろうから、やはり人間として生まれてきてしまった以上、どこまでこの世界地図を書き換えていくかに挑み続けていきたい。

 この「新大陸」は、人の数だけ存在しているしももっと言ってしまえば人の数以上に広大な土地が用意されている。それならば徹底的に領土ゲームを楽しめばよいのだ。お金がないとか、時間がないとか関係ない。そんなものはこの領土ゲームをとにかく楽しめば、スーパーマリオをプレーしていれば勝手に貯まっていくコインと同じで勝手に貯まっていく。そのコインを集めるためにいちいち何かに時間を割くことはナンセンスなのに、それこそ何かの「制約」に左右されて、自分の人生の純度であり生命力であったり、自分の手持ちの領土を自ら削っていくような自虐的な人生戦略に身を投じていく。それは緩やかな自殺を行っているようにも見えなくもない。

 この世界に意味はない。ならばなおさら、自分自身で自分が「何のために生まれて何のために生きるのか」についての答えを自分で決めて生きなければ、それこそ生きていても生きていなくても同じような純度の人生しか出現しないのだから。

 とにかく失敗など気にせず、ひたすら新大陸で自分なりの領土統治をしてみよう。そんなに時間などかからずに、あなたの創った新しい国は誰かに認められ受け入れられて立派な領土へと発展していく事だろう。