読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

3:オタクイズビューティフルは、ジャパンアズナンバーワンの要因となりえるのか

3:オタクイズビューティフルは、ジャパンアズナンバーワンの要因となりえるのか

 

 「日本人性とはオタク性である」という仮説を1章の中でしたのだが、本当にそうなのだろうかとこの項では敢えて疑ってみたい。さて、「オタク」とはどういう意味なのかとりあえず辞書を引いてみるとこのような意味合いになっている。

[オタク]

おたく(オタク、ヲタク)とは、1970年代に日本で誕生した呼称であり大衆文化の愛好者を指す。元来は漫画・アニメ・アイドル・SF・特撮・パソコン・コンピュータゲーム・クイズ・模型・鉄道・格闘技などの、なかでも嗜好性の強い趣味や玩具、の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。

 

 面白い事に、大体の言葉はどの辞書で調べてもほとんど同じ意味で説明されているのにこの「オタク」に関しては御託を並べるかのように、結構個性のある説明がそれぞれの辞書に入っていたりする。中には、


社会的にその価値が理解されがたいサブカルチャーや趣味に嗜好をもち,その細部にこだわり,自分の世界に閉じこもって没頭する傾向が強い。

 

 となっていたり、

 

特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人。

 

 と書かれいたりもする。最後の「社会的な常識には欠ける人」という定義は面白い。わからない事はないのだが、特定の分野・物事にしか関心がなく、そのことには以上に詳しく、社会的な常識も持っている人というのは「オタク」と定義されないという事になる。それともオタクというのは「特定の分野・物事」にしか興味がないので、必然的に「社会的な常識に欠ける」ということになるのだろうか。そもそもここでいうところの「社会的な常識」とは何を指しているのかもよく分からない。

 とりあえず、「オタク」という意味合いにはリスペクトの要素は含まれつつも、Disりの要素も含まれているのは理解できた。「何かに非常に突出している代わりに、何かが非常に突出して欠落している」というような具合だ。かと言って、物凄い運動神経が良くて例えばサッカーでは世界トップクラスの実力を誇るのに、社会常識が欠落して稲人間の事を「オタク」とは呼ばないような気がする。そこにはこれまた一般的に「あまりそのジャンルの事が詳しかろうが、実力が高かろうがなんだかちょっと気持ち悪い」という要素を含むものでないと、「オタク」とは呼ばれない印象をもつ。例えば「アイドルオタク」「アニメオタク」「ゲームオタク」というように、何か社会的にはそれを追いかけて極めたところでそれほど評価されないようなものを追いかける者たちを「オタク」と呼ぶような気がするが、ここについても時代が進めば価値観が変わるので、今の時代の「オタク」と、当時の「おたく」とでは大分意味合いが違うという事を主張している者もいるぐらいだ。

 私自身、日本人の本来備え持っている日本人性の中に「オタク性がある」という仮説を立てたが、この「オタク」という言葉と対話している内に、似ている概念という言葉に出会う。それは『マニア』という言葉なのだが、「オタク」と「マニア」とは何が違うのだろうか。「マニア」についても辞書を引いてみると、

 

[マニア]

特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。 「鉄道-」 「切手-」 → おたく(御宅)

 

 結局ほぼ同じ意味合いのようだが、私が先ほど疑問に思った「一般社会常識」を持っているソレを「マニア」と定義するというような意見もあるようだが、特にそう定義されている節もない。印象としては「オタク」は「マニア」以上にある特定のソレにハマリ込み過ぎて、ソレの話以外はほぼできず、コミュニケーションもろくに取れないような印象を与えているようだ。そして、マニアとはmaniaであり、どうやらこの言葉はギリシア語で「狂気」という意味らしいが、「オタク」はギリシア語でもなければラテン語でもなく、日本語から来ている言葉だ。この両者を比べれば行儀のよいイメージを持っているのは「マニア」であり、凶器を持ち出そうなイメージを与えているのは「オタク」なのかもしれない。正気でもない方も「オタク」なのかもしれない。

 「オタク性」というものは本当にこの犯罪的な変態性を伴うものなのだろうか。もしもそうであるならば、私が1章で述べた仮説の中の「日本人の本来性は「オタク」にある」という主張は取り下げたくなってくる。私は決して「日本人の本来性は変態的趣向を持つコミュニケーション能力のない引きこもりである」などという事を言いたかったわけではない。どちらかというと、日本人のイメージは国旗のイメージと同じで、丸なのだ。つまりそれは「何とでも融合できる」というイメージなのだ。良くも悪くも角がないイメージなのだが、もしも「オタク」が、ここまで性犯罪的なイメージを匂わすのであれば、そしてコミュニケーション能力が著しく低いという条件がついてしまうのであれば、ちょっと「オタク性」が「大和魂に含まれる要素」と考えるのは難しくなってきたのだが、それでも「オタク」という言葉は純日本産であり、なんらかの日本人性がそこに表れている気がしてならない。そうでなければ、「オタク」の事を外国人達が「OTAKU」とは言わず、自国の言葉に当てはめるはずだ。

 だがしかし、調べてみると英語でも「オタク」「マニア」と似ているような関係の言葉を発見した。その言葉が、「ギーク」と「ナード」という言葉だ。「オタク=ナード」「マニア=ギーク」というような関係にあるようにも見える。それどもなんとなく「オタク」というこの言葉には日本人しか持てないような日本人の特異性が含まれているような気がしてならないのだ。私が、抽出したいのはその「オタク」の中に含まれている「日本人ならではの要素」なのだ。

 ちなみに、私は「大和魂」を研究しているくせに、非常にヒップホップ文化を愛している人間でもある。若者と言われていた時代は、ヒップホップのダンスにハマリ、中年と呼ばれる今現在、ラップにハマリまくっている。しかし、ダンスにしてもラップにしても特に優秀なダンサー、ラッパーは、私は良い意味合いにおいての「オタク性」が含まれているような気がしてならないのだ。そして、彼ら彼女らには、「そのことに非常に没頭している」という事は見られるが、何か嫌悪感を与えるような要素は見当たらず、それこそDanceにおいては本場アメリカ以上に強烈なパフォーマンスを披露して世界を魅了させている事実もあるし、ラッパーにしてもいかつい感じのいかにもアメリカンスタイル的な不良ではなく、何かちょっと「オタク」っぽさを感じるラッパーが非常に素晴らしいパフォーマンスを発揮しているのをよく見かけるのだ。

 「オタク」であれ「マニア」であれ「〇〇狂」というようなイメージも受けるが、どちらかというとそれは狂っているというよりも、『深く潜り込んでいる』印象をこちらは感じるのだ。そして私が「オタク性の中に日本人らしさが内在しているような気がしてならない」と思わせる部分は、その『深く潜り込んでいる』というその部分なのだ。なんというか、職人がモノ作りにおいて、外の外的世界を感じずに、そのものにズバリ没頭して集中している状態。「自分の世界に入り込む」という表現も出来るが、それが独りよがりではなく、言ってみれば「神の世界との同化している状態」というか、融合している状態というか。

 神の世界というのはまさに「オリジナル」の事であり、もしも『西洋』で言うところの「神は人を自分に似せてお創りなさった」的な発想が正しかろうと、それは「神と全く同じ」ではなく、「似せて創った」だけに過ぎない。言ってみれば、どこかの国で売ってそうなブランド品のバッタモンみたいな関係が、「神と人間」にあるようなものなのだが、日本人的発想は「人もそこらへんの石も木も神さまが作ったもの」というような発想なので、「神とのシンクロ」みたいな言ってみれば、スポーツの世界で言われるところの『ゾーン』の状態に入っているような状態。それは「神さま=創造主」と自分がぴったり重なり合っているような状態と表現するのがなんとなく私の立てた仮説の中で使った「オタク性」のことだ。そこに性的に偏った変態的要素は加味されない。

 日本には素晴らしい、日本らしくて世界からそれこそ「ビューティフル」と称賛されるモノたちが数多く存在する。それらはまさにこの「神さまとぴったり重なった状態」で創られるモノたちのような気がしてならないのだ。それは、ドラゴンボールであれ、スーパーマリオであれ、同じ原理が働いているように見える。その過去も現在も働く、日本人の独自性が光る「ソレ」を「オタク性」と呼ばないのであれば何と呼ぶのか教えてもらいたい。私が「大和魂の重要な要素」と言いたいのはそこにある「神さまとぴったり重なるセンス」のようなものなのだ。

 たしかにそれは、やはり「神さまとぴったり重なる」ような状態なので、人から見れば人間離れて強いるのである種の「気持ち悪さ」を感じさせる可能性もあるのかもしれない。しかしそれは嫌悪的な「気持ち悪さ」ではなく、カタルシスを味わう程の機会を喚起させるだけの「気持ち悪さ」(非日常という意味合いでの)なのだと考える。その領域に入り込むには、相当の「入り込み」が要求される。そして、その「入り込み」の技術が、技術ではなく日本人はある種の先天的なセンスとして持ち合わせていると私は個人的に主張したいのだ。

 皮肉な事に、その「入り込み」のセンスが高すぎて招いた悲劇が、前項でも取り上げた「日本人はサラリーマンという鉄仮面が皮膚化して顔になってしまった現象」の事だ。これも言ってみれば、戦争に負けた日本が、いち早く復興しようとして立てた戦略「サラリーマン大作戦」に多くの人間達が「入り込み」過ぎてしまったため、驚異の回復力で復興を成し遂げたそこまでは良かったものの、応急処置モードで戦略上用いた「サラリーマン大作戦」のサラリーマンを極めすぎてしまい、復興をとっくに終えた今も、日本人は「サラリーマンオタク」としてその力を無駄に発揮しすぎてしまっているのではないだろうか。そこまでは良かったのだが、それこそ何故、社内では、上司と部下、そして取引先などと健康的なコミュニケーションをとることができないのだろうか。それこそ「オタク」の定義に書かれているような「コミュニケーション能力が乏しい」というような欠点を露呈させてしまっているのではないだろうか。個人的には、「指示待ち人間」であれ、「誰かに飼われて生きる生き方」そのものが、それこそ悪い意味合いにおけるオタク的要素を発揮してしまっているように見えてしまうのだ。

 なので戦後の日本人は、アメリカの飼い犬のような存在になってしまい、これまた皮肉な事に「飼い犬オタク」みたいなものまで身に着けてしまって、挙句の果てには「終身雇用」だの「年功序列」だのともうそれはそれは「依存オタク」みたいになってしまって、そこからひきこもりだの、ニートだのとさらに発展していって、という具合に進んだため、「オタク性」というものが、あまりよくない印象を与えているように思えるが、日本人が特別持っている良い意味合いにおける「オタク性」というのは、「神さま(創造主)とぴったり重なることができるセンス」の事を私は指している。やはり、それは深海に潜るような深みに「入り込む」事が必須であるように見えるので、見方によれば引きこもっているように見えるし、その「神さまとぴったり重なった状態」というのは、意識は俗的な世界ではなく、どこか別の世界にワープしているような状態になる。「没頭」というのはまさにそういう状態の事なのだろう。

 つまり、私が言うところの「オタク性」というのは、「没頭力」のことであり、その先天的かつこうてう的にも優秀な没頭力が存分に発揮されてつくられたものであり、モノ達はやはり、世界から「ビューティフル」であり、それらによって「ジャパンアズナンバーワン」と言わしめるだけのインパクトを魅せる事が出来ているのだから、「オタクイズビューティフル」と表現しても遜色ない気がするのだが、たしかに、その「入り込み」というセンスが、度が過ぎてしまったり、どこかしらに偏ってしまうと、やはりちょっとそれはあまり良くない意味合における「気持ち悪い」になってしまうが、またそれはそれで世界から見たら、へんてこだったり、奇妙でおもしろかったりするので、「オタクイズビューティフル」と言っても良いのかもしれない。