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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

9:最後の3S「SEX」についての考察

9:最後の3S「SEX」についての考察

 

 ここで、みんなが大好きな「SEX」についての考察をする前に、戦後の3S政策なるものについて共通理解を深めておきたい。3S政策とは大体はこのようなものだ。

 

[3S政策]

3S政策とは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策

 

 みたいなものだが、「本当にこんな政策あったのか?」と問われれば正直分からないし、実は個人的にはなかったんじゃないだろうかと思っている。だけど、「政策」があったかどうかが重要なのではなく、個人的にはこれら「スポーツ・SEX・スクリーン」によって日本国民が愚民化した事実があるかどうかの方が大事な論点だと考えている。

 皮肉な事に、少なくとも今の時代においてこのような「スポーツ・SEX・スクリーン」によって日本国民は愚民化させられているようにしか見えず、もっと言ってしまえば、「スポーツ・SEX・スクリーン・酒・スマホ」の5Sのように見えてしまうのは私だけだろうか。

 そしてこの項ではこれらによって我ら日本人達が愚民化しているのかどうかを考察したり論述したりするのではなくすでに「スクリーン」関係と「スポーツ」関係においては考察したので、最後に「SEX」についても日本が戦後どのようになったのかを考察して、そこに「大和魂」の何かしらの要素を見つけ出せるかにチャレンジしたいとので取り上げているだけで、「日本を3S政策によって愚民化されたのだ!」という主張をしたくて書いている訳ではない。考えやすいから利用しているだけに過ぎない事は了承していただきたい。そもそも、ここまでの流れで、私個人としては、明治あたりの伊藤博文の時代の『西洋』かぶれが、日本国民としての国民レベルが著しく下がったように見えているので、愚民化計画が戦後にあろうがなかろうが、すでにその当時には日本人は愚民に化しているという見解だったりするので。

 さて、「SEX」性的なものに関してだが、やはりここに関しては、漫画・アニメ・コンピューターゲームの中に見られた日本人のおたく性が発揮されたジャンルのような気がしてならない。

 まず、日本のAVの文化だが、あれは外国人から言わせたらやっぱり漫画・アニメ同様日本独特の進化をしているように見えているのではないだろうか。さらには、最近で言えばAV女優はアイドルのような扱われ方をしている風潮まであったりする。

 そして、風俗産業だが、海外にもさまざまな形で存在はしているだろうけど、日本的な感じで風俗産業がバリエーション豊かになっている国など果たしてあるのだろうか。おそらくないのではないだろうか。やはり、この「SEX」産業においても、日本は愚民化したかと思えば、またそれを楽しんで「迎合的融合」を果たして、Japanオリジナルへと昇華させてしまっているような気がしてならない。

 しかし、この「SEX」産業が、漫画・アニメ・コンピューターゲームと異なる点は、その対象となる商品が生身の人間であり、それは女性であるという点だろう。その為、エロい男性たちは外国人であっても「日本の「SEX」産業は素晴らしい」と称賛する者たちもいるかもしれないが、女性たちからは賞賛などされることはないだろうし、男性からもあまり賞賛されていない可能性もあるかもしれない。

 これは日本人と西洋人の大きな文化の違いだが、西洋人達には「レディファースト」的な風習があるが、日本人にはその風習はない。どちらかというと日本は男尊女卑的な差別史観が歴史的にもあった。以前は、女性には選挙権が与えられなかった時代すらある。その流れからやはり「女性を性的商品に」という男尊女卑的発想があるような気がしてならないが、今度はその商品にされている女性たちもれっきとした日本人であり、それらを上手に利用してたくましく生きている女性がいるようにも見える。

 そのあたりについては、宗教の自由と同じで、何が正しくて何が間違っているのかは定義することは難しいだろう。本人が望んでやっているのであれば、他人が止める事もないのかもしれない。

 しかし、海外と比べて特異な風俗サービスがある。それは何かというと「キャバクラ」だ。この「キャバクラ」文化というものは日本独特の文化なのだ。そもそも、「女性とお話するだけでお金を払う」という事自体、西洋人達から見れば日本人達の価値観について理解を示すことができないのではないだろうか。

 そう言えば、私が以前NPO活動をしている外国人の方達を日本に読んで、お世話をする的な活動をした時に、とあるニュージーランドの方と早朝明治神宮に散歩をしたのだが、その時に彼女は私にこんな事を言っていたのを思い出す。

「なぜ、日本人はすれ違う人にあいさつをしないのだ?」

 外国では、見知らぬ人とでも会話を交わすのが当たり前なのだろう。しかし、我々少なくとも今の時代の日本人は見知らぬ人になど話しかければ、不審者と間違えられそうな暗黙のルールに縛りあげられて、見知らぬ人たちに積極的に話しかけようなどという事はしない。男性から女性に話しかけるなど、何もないのにすれば「なんだこいつ?」と思われそうな空気が日本には漂っていて、気安く話しかけることが出来ない。そんなだから、「キャバクラ」文化というこれまた奇妙奇天烈な文化が誕生してしまう。海外では、飲み屋に行けばもうその空間の中にいるというだけで「もはや仲間」という感じなのだろう。しかし、日本にはそういう空気が流れていない。

 ここに関しては、日本に古くから男尊女卑的な空気が流れていたからという部分から、「男女平等」のようなあるパワーバランスが崩れたことによる歪みなのではないだろうか。そして、日本人はこれまでの考察通り「オタク的」つまり「内に籠るタイプ」なのだ。となると、あまりむやみに見知らぬ人たちと仲良くなって何かをしていこうという気質に乏しい感じがするのだ。そうでなければ、「オタク」文化がここまで発展すること自体がおかしい。

 そして日本の「SEX」産業というのは、悲しい事に「日本人らしさ」をものすごく集結しやすい王手飛車角獲り的強さを発揮できる程、日本人の得意とするポテンシャルを集結できる産業になっているように見えてしまう。

 というのも、日本人の2D的妄想力、世界観であれキャラクター設定、つまり「ごっこ遊び」の天才である日本人の日本人特有のポテンシャルを如何なく発揮できる産業が、この「SEX」産業だったのではないだろうか。それこそ3S政策が我々日本人をどれだけ愚民化させたかは分からないが、「SEX」産業に関しては、日本人達をそれこそかなりこの世界に没頭させた事実は拭うことが出来ない事実だろう。

 宗教観という観点からも、西洋人達が「SEX」を日本のようにこんなに「商品」化させているとは思えない。それこそ、神への冒涜というような見方を彼らはするのではないだろうか。日本人は「オタク」気質なので、ハマってしまうととことん掘りまくってしまうので、もう歯止めが効かない位独特の文化を築き上げてしまうが、私自身も日本人なのでその気持ちは痛い程よく分かるが、やっぱり掘り下げるのは、「SEX」産業ではなく、もっと重要な事が沢山あるのではないだろうか。という点において、やはり、日本人は「SEX」産業によって愚民化した事は紛れもない時事なのだろうと私は考える。

 こういった性的な問題は、人権的な問題と密接に関わっているので、法律のようなルールで縛るというよりも、一人一人が考えて道徳的にそれらについて損得よりも人間としての人間レベルというコンテクストに載せてどう説くのかをしっかり考えていかないと、次の世代にもまた教育の問題と同じで、負の相続をさせてしまうことになってしまう。

 たしかに、「愚民化」という観点で言えばそれは「骨抜き」という事だろうから、麻薬関係に関しては言語道断だろうが、中毒性であったり、条件反射で反応してしまうようなものは、すべて愚民化の方向へ進む恐れのある危険な対象なのかもしれない。人間の欲を掻き立て、歯止めを効かぬ状態にしてしまう対象には細心の注意を払わない限り、「大和魂」云々の前に、人として愚民と化してしまう。

 特に男にとって「性的なもの」はとてつもなく甘美な芳香を醸し出して油断すれば一発で天国から地獄へと堕ちる恐ろしい罠である事は歴史をなぞっても、言わずもがなの内容だろうから、寝ている時も曲者に警戒する殿様のように、警戒し続けるぐらいでちょうど良いのかもしれない。

 しかし、その日本人の類稀なる「オタク力」によって発展させた「SEX」産業で培ったそれらの妄想力であれ、世界観の構築力を是非、多ジャンルの産業で活かして、胸を張って自慢できるジャンルの中で、その「オタク力」をフル勃起ではなく、フル発揮しするためにすぐ発起するべきだろう。