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10:サバイバルの時代に、リバイバルすべき時代とは

10:サバイバルの時代に、リバイバルすべき時代とは

 

 それではこの3章の最後に、考えてみたい事論じてみたい事としてサバイバルの時代に、リバイバルすべき時代とはとしてみたが、日本の過去の歴史において特異な時代を挙げるとすれば、それは縄文時代と江戸時代のような気がしてならない。

 もちろん、どの時代にも特徴はあるとは思うのだが、やはり縄文時代と江戸時代は何か特別なものを感じずにはいられない。ただ、縄文時代に関しては一部のスピリチュアル好き、陰謀論好きの不思議大好きキャンベーン的なものにひっぱられている可能性もなくはないが、やはり縄文時代は日本人の日本人性を象徴している気がしてならない。

 というのも、やはり「和風」というものはどこか縄文時代的なものを感じられないだろうか。そんなこと言ったら弥生時代平安時代だろうがそれらはすべて「和風」だろう。と言われてしまえば返す言葉はない。だけど、やっぱり縄文時代的なあの素朴さに「日本人らしさ」を感じずにはいられないのだ。縄文土器のあの無駄に手の込んだデザインを見てドキドキしてしまうのは私だけだろうか。そもそも弥生時代のあの土器のなんというか簡素さはなんなのだろうかとときどき思う事は無いだろうか。勝手な思い込みかもしれないが、縄文土器が代表するように、あそこに大和魂のルーツがあるような気がしてならない。むしろ弥生時代には何か他のものが入り込んできてしまったのではないだろうかというような事をやはりどうしても考えたくなってしまう。

 それはおそらく気のせいではないのかもしれないが、縄文時代弥生時代を雑に比較しても、

 と、大体歴史の教科書にはこんな感じで書かれているが、注目したいのは縄文時代の長さだ。なぜ、ここまで長くこの時代が続いたのだろうか。それはもちろん人と人との争いがなかったからだろう。まさに「和」であり「調和」の時代だったとも言える。そして、弥生時代からは有名なのは卑弥呼だが、そういった王様とその他、つまり階級のようなシステムが導入され、人と人が戦って領土を奪い合う時代がはじまった。基本的に、弥生時代から戦国時代と呼ばれている徳川家康が天下を統一する時代までは、国内で戦争がずっと続いていたようなもので、大きくくくってしまえば弥生時代から日本はずっと戦国時代だったと見ても良いのかもしれない。つまり縄文時代は非戦国時代、そこから日本はなにかと戦う戦国時代へ突入し、一旦江戸時代で非戦国時代にとりあえず戻り、また明治維新に向けて戦国時代っぽい風が流れて今度は日本の外側に目を向けて調子に乗って戦国時代してみたものの、出る杭を打たれて強制的に非戦国時代になったのが、今の日本と強引ではあるが、考えることも出来なくはないだろう。

 そういった意味で、日本というこの島国というか生命体は、戦いを好まない。和を好む生き物のような気がしてならない。私自身も昭和の時代の競争社会に洗脳されて育ったため、物心つく前から無駄に競争心を育まれてしまったが、こうやって日本というものを見つめなおしてみると、いかに日本は戦いを好まない風土であるかが見えてくる。

 おそらく、日本の外側の国というか土地というか風土的には、戦う事でイキイキしてくる土地もあるのかもしれない。しかし、縄文時代まで遡ってしまえば日本は人と人とが争っていなかった可能性が非常に高いのだ。そして、その後江戸時代において久々に戦わない日本がやってきた時にやはり江戸時代の文化というものは、日本人に馴染んだおもしろい時代を創り上げてきた気がするのだが、もちろん江戸時代の日本人達は縄文時代の日本人のような素朴さはないだろうし、『西洋』のちょっかいもはげしかった訳だから、またそのオセロの白を黒にひっくり返されてはしまったのだろうけど、江戸時代というのは日本の歴史の中では特異な時間だったような気がしてならないのだ。

 私自身どちらかというと「戦う」ということに魅力を感じてしまうタイプの人間なのだが、かといってもそれは先天的なものでなく、やはり後天的に植え付けられた一種の催眠のようなものの気がしてならない。やはり、日本人は縄文人のような戦わずに「和」する事を大事にしている人間のような気がしてならない。そうでなければ、二〇一一年のあの大震災の時にも、自分も大変なのに他を思いやるような行動が自然と出てくる事は無いのではないだろうか。それらの行動を世界の人々は見て驚いた。それこそ、ある国の人達はそんな震災が起これば、火事場泥棒のチャンスタイムとばかりに考える者も多いというのに、日本人は本性が出ると、あのような行動が自然に取れてしまうのだ。やはり、人間の本性というものは緊急時に思わず自然と出てしまうものであることは間違いない。あれらの行動は、戦争に負けた負け犬根性的なDNAがそうさせたものではないと私は考えている。たしかに敗戦時に、アメリカの軍隊のジープが道を通る時に、はじによって背を向けたあの光景に似ていると言えば似ているが、そことフラクタルな関係にあるのではなく、日本人は異常に「譲り合う精神」が元から優れていて、それが、戦後の復興モードで悪い方向にそれが出てしまい、「譲り合いの精神」「和を大事にする精神」が、日本の外側の国々の文化と交わった結果としてそれが「謝罪文化」という情けない方向にひん曲がってしまっただけなのだろうと推測する。

 そういった失敗例にも目を背けず、もう一度我々日本人は一度、江戸時代、そして縄文時代の日本人の精神性を取り戻して、「日本人」という存在は一体どういった存在なのかを考えてみるべきではないだろうか。

 ちなみに私が「大和魂」を研究しようと思った動機は、日本人の日本人たる強さを取り戻したいという気持ちからで、まさか研究してみて「日本人は和を大事にして戦いを好まない人種」であるなどという結論に進むとは思わなかった。しかし、調べれば調べるほど、日本と対話すればしていくほど、日本であれ、日本人という存在は、「和を大事にする」「融合力がハンパない」というこの事実にばかり出会ってしまい、戦いを好むようなそういう部分を見つけることが出来なかったのだ。もちろん、「あんなこと」や「こんなこと」など戦いに関する事をつなぎ合わせれば、「いやいや、日本人ってこんなに戦いが好きなんだぜ」という論調にもっていくこともできるかもしれないが、私が調べている中ではそういった「戦い」の要素は、日本の外側から入り込んできたような気がしてならないのだ。縄文時代は古すぎてちょっと分からないが、江戸時代に関しては外国が日本にちょっかいさえ出さなければ、日本は別に日本の外側の国に攻めようなどはまず思わなかっただろう。そして、この世界から見れば小さな島国の中で、それこそ「オタク力」を発揮させて、自分たちで自分たちなりに楽しんでいたのが江戸時代の文化なのだと私は考える。

 今の時代はグローバルであって、それこそ鎖国的なひきこもり的な生き方は時代にあっていないことはたしかだ。だけど、日本が世界に迎合して、競争ごっこに混ざる事が本当にグローバルな時代の中で日本がすべきことなのかどうかは、もう一度各自考えるべきだということは主張したい。

 それこそ、かつてフランシスコザビエル達、『西洋』の宣教師たちが日本人にキリスト教を布教しにきたかのように、我々日本人は『日本教』を世界に布教しに行けばよいのではないだろうか。「競争」ではなく「共生」という和の精神、融合精神を布教するのだ。もちろん強制的にやってもそんなことはしょうがないのだが、競争社会に迎合して世界から「日本人も上手になったね。」などと上から目線で見られていては、それこそ「大和魂」が再起動するなどという事は考えられず、ずんぐりむっくりした体系の『西洋』人かぶれとして、世界からバカにされながらそれこそ子ども相手のようにからかわれるのがオチだろう。日本人が『西洋』人ごっこをすれば、そうなるのがオチなのだ。それこそここについては、歴史が証明してくれている。

 我々日本人には、日本人のDNAが刻まれている。日本は『西洋』ではない。オタクイズビューティフルという内に籠って、何かを極め、そして迎合することなく融合する。もはや世界から見てみれば、日本そのものがUFOのような存在なのに、大事なものを捨ててそこから無防備に出て、烏合の衆のようになってしまっては、「大和魂」は腐り果てて腐臭しか発生しないだろう。そして、未来永劫、「この時代の日本人は日本人らしかったよね。」と語り継がれるような時代を築きたいと私は思う。同じ気持ちのある人たちで集合して、この時代を「一番日本人らしい「大和魂」が一番輝いた重要な時代」にしていこうゼ!って事で、ひとまず「大和魂の研究Ⅰ」は終了。