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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

1:なぜ、そこまで日本の義務教育システムを嫌っているのか?

1:なぜ、そこまで日本の義務教育システムを嫌っているのか?

 

 学校嫌いが創る学校。まず、なぜ私はここまで「学校」を忌み嫌っているのか?もちろん嫌っているのは「学校」ではない。ここでいう「学校」とは「日本の義務教育」であり、日本で「教育」といっている「日本の教育システム」のことだ。そもそも日本の教育とは、洗脳が「教育」という皮を被っているだけで、日本の教育を別称すればそれは「国が認めている洗脳」と言っても過言ではない。

 実際のところこれは「教育」という言葉に限らず、何かキレイでイメージの良い言葉を使っては、人々はその言葉を額面通り受け取り、良い印象を持ってしまうが、昨今、そういったインチキのようなキャンペーンがどこもかしこもで見られる。宣伝している内容はいかにも素晴らしそうな内容であるかのような言葉を用い、実際にそれを購入してみると大したことはない。感情的には「なんなんだ、この詐欺商法は・・・」と思ってしまうレベルのものがほとんとだ。そして何よりも、一番の詐欺、国を挙げて国民を騙している一大詐欺がこの「教育」に関する事だと私は主張している。

 そもそも「教育」とは何か?「教育」というこの漢字二文字を分解すれば「教」と「育」の二文字なのだが、「教」とは「教える」、「育」とは「育てる」。言葉にすれば「教えて育てる」ということになる。これは教える側の視点だ。そして教わる側からすれば「教」とは「教わる」、「育」とは「育つ」。言葉にすれば「教わって育つ」ということになる。とはいえ、基本的には「教育」とは「教えて育てる」という意味なのだろう。

 いつの時代においても、政治家たちであり、もっと言えばそのトップである総理大臣たちも「何よりも力を注ぐべきは教育」というような事を口にする者達が多いが、実際に予算が何に使われているかという事実と比較すれば、彼らの言っている事とやっている事がどれだけズレているかは一目瞭然だ。では、なぜ彼等は「教育、教育、とにかく教育」と口では連呼するのか?それは国民達に与えるイメージが良いからだろう。では、自国の外側に出て「我々の国は教育に力を入れています。」などと言ったところで、とくに大したインパクトはない。それが予算の使い方にも出ている。何が言いたいのかというと、もうすでにここにも「二枚舌」のような事実が浮き彫りになっているということだ。

 表面ではニコニコしていて善人ぶって、心の中では舌を出す。政治家のイメージはまさにそんなようなものだが、この「教育」というのもまさにその二枚舌になっている。少なくとも日本の教育システムはただの「洗脳」システムに過ぎない。しかし、それを我々国民は「立派な教育」と勘違いする。相撲の世界では「かわいがる」という言葉がある。この「かわいがる」という言葉が与えているイメージだけから想像すれば、先輩が後輩に食事を奢ってあげたり、いろいろやさしく教えてあげているのかなという想像をしてしまうが、実はそうではない。相撲の世界の「かわいがる」という言葉の意味は、一般人のイメージからすれば、「しごきあげる」という言葉に近い。まさに「教育」という言葉はそんな感じで、一般人にとっては「やさしく教えて、人を正しい道に導く」というような想像を喚起させてくれる。もちろん、「教育」を受ける人間と、「教育」を受けない人間では、「教育」を受けた人間の方が人間的にも、社会的にもレベルが高くなるような印象を与える。だからこそ「教育=国民レベルの向上」のような印象を与え、「教育に力を入れる人間=素晴らしい人間」のように思わせているのだが、実はそうではない。あれらはただのリップサービスにすぎない。まず、我々はそこに騙されてはいけない。むしろ「教育に力を入れる」と言っている人間に対しては全力で疑ってかかる事をおススメする。もう教育に対する熱心さをアピールしている時点で怪しんだ方が良い。胡散臭い人間は、自分の心のあくどさを隠すために、なんとか「私は善人です。」アピールを過剰なまでにしてくる。教育以外にも、胡散臭い感じで憲法を変えたりするときは、大概その心の中のあくどさを隠すために、いろいろと「私は善人です。」「私程自らを省みず、みんなのために良い事をしている人間はいません。」的なアピールを過剰にしてくるのが大衆をたぶらかすためのセオリーになっている事をまず我々はしっかり理解しておく必要がある。それこそ、選挙の時だけやたら良い事だけ言って、ペコペコして、ニコニコしながら握手とかしちゃって、選挙が終わり、当選してしまえばもうそこからは「先生」ごっこがはじまっちゃって、デブがダイエットに失敗した時のリバウンド以上に、態度が激リバウンドするといういつものありきたりなあの状態になる事は説明するまでもないだろう。

 そんなこんなで、まず国を動かす側にいる人間達の意図を我々は知る努力をしないとすぐに呑み込まれてしまう。「国民の為」というこの言葉は「あなたの為」という意味ではない。「国民の為」という言葉を政治家たちは「自分の為」に吐き続けている。ただそれだけで、言っている言葉は、先ほどのすもうの世界の「かわいがり」同様に、我々がイメージするソレとは違うものであることを知らなくてはならない。それを知らずして、連中の使う言葉を鵜呑みにして信じれば、とんでもない痛手を食うことになる。気づいた時は時すでに遅し。もう元には戻れない位、我々は貴重な人体が成長する特別な時期に、しっかり洗脳されて大人として完成された時期には、すでに国の「教育」という名の「洗脳」は完了していて、どうにかしようとしてももうどうすることもできないぐらいのところまで来てしまっている。

 つまり、こういうことだ。既存の日本の教育は我々から可能性をそいで、自分たちの都合の良いようにヒューマンデザインをしているだけ。つまり、日本の教育を真面目に受ければ受けるほど自分たちの可能性も才能も削がれて、人生の自由度を下げられてしまうという主張を私はしている。もちろん全員がそうなのかと言われれば「そんなことはない」と思い込んでいる人間が多数なので、この考えにどれだけの人達から賛同を得られるかは分からないが、少なくとも私一人で考えてみれば、この事実は間違いない事実であるし、私と同様の考えであったり、体験をしている者がいないかといえば、結構な数の者達がこの考えに賛同してくれることは間違いない。なぜならば、日本の教育とはそういうものであり、もっと言ってしまえば「国がしている教育」などというものは、誰にとって利点のある内容にするのかと考えれば一目瞭然で「あなたの為に」などする訳がない。それこそ、金をかける価値は何なのかと問えばそれは国にとって利益があるからであって、「あなたのための」などという事を国が考えてくれるわけがないのだ。もちろん、表向きにはいかにも「あなたのための」みたいな事は猛烈にアピールしてきてくれるが、実際にそうなっていないのは、世の中を冷静に客観的に見ていれば、そのような事実はどこにもない。もしあるとしたら、それは一人一人の脳内の中で、主観的に勝手に思い込んでいるだけなのだ。映画MATRIXのあのMATRIXシステムとまったく同じなのだ。