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harasawapublication ~原澤出版~

原澤出版の執筆用ブログ

5:減点大好き日本人、基本的に人の上に人をつくるの大好き日本人

5:減点大好き日本人、基本的に人の上に人をつくるの大好き日本人

 

 この章では既存の日本の教育を徹底的にDisり、その後の章で「では、日本の教育はどう進んだら良くなるのか?」という問いに対しての考察と論述をしていく構成になっているのだが、正直なところこの項でこの章の半分になるのだが、すでに滅入っている。本当に日本の教育ってタバコ以上に百害あって一利もないなって気がしてならないからだ。まだまだ日本の教育のDisりどころなど、それこそ即興で語らせてもいくらでも温泉の如くひたすら湧いて出てきてしまう。

 さて、この項では日本の教育の悪しき根源とも言える「減点システム」を取り上げることにする。もはや日本で生まれて育った者にここに関しての説明は不要だろう。「百点満点」によるテスト、いかにできないかという採点を行うあのシステムの事だ。

 「減点システム」が存在するという事は、もちろんその反対の「加点システム」が存在し、「百点満点」などという小さな箱に閉じ込めるのではなく「あなたは五万点」「あなたは二十一万点」などというまさに宇宙規模の採点システムを採用する事も可能なのだ。もちろん加点システムは収拾がかないかもしれない。だけど、人を評価するのに百点満点という漠然な評価基準で出来不出来を決められる方がたまったものではない。社会を見れば、出来の良い人間達は例外なく「加点システム」によって生きている。そして息苦しく生きている人間達は例外なく「減点システム」という密室において酸素の少ない生き方をしているため、窒息寸前になっているのだ。たしかに、幼き頃からこの「減点システム」によって洗脳され続けているとは言え、そのような狭い箱の中で何十年も息苦しい生活をしている事に関しては、傍から見ている者にとっては滑稽にしか見えない。なぜならば、今すぐに「加点システム」に加担すればよいだけで、未だに何かの赤点に怯えながら生きる事がバカバカしいことぐらいはなんとしてでも分かってもらいたい部分ではあるのだが。

 これは、外の著書でも説明したことがあるが、「コップに半分入った水」に対して、人はそれをどう表現するかという「コップに半分入った水問題」という問題がある。誰がそんな問題を作ったかというとそれは私に他ならないのだが、このコップの中に半分入った水を「半分『も』」と表現するか、「半分『しか』」と表現するかでは、その人たちの見ている世界が違うという事を理解する必要がある。「同じ世界が目の前にあったとしても見ている世界、生きている世界は別ものだ。」というこの現実を知る必要がある。

 「減点システム」という色眼鏡をかけた者に見えている世界と、「加点システム」という色眼鏡をかけた者に見えている世界では、同じ場所に立っていたとしても見えている世界が違うのだ。この原理に気付かぬ限り、「減点システム」なる色眼鏡をかけて生きることがいかに毒ガスを吸い続けている浅はかな行為であるかを理解する事が出来ない。

 それは、もはや学校教育において常に減点される事を繰り返されている我々は、もはやもっと可能性も才能も溢れんばかりに秘めていた、自分の原点などとっくの昔に忘れてしまい、常に誰かからの「減点システム」の目に怯えながら、むしろ怯えるというよりも感覚が麻痺してそれこそ、四六時中何者かに後ろから頭を小突かれ続けているような痛々しい生活を送っていると言っても過言ではない。それは幼少のころから受け続けている国からのドメスティックバイオレンスであり、長年浴び続けているからと言ってそれを受け続けることでストレスを受けている自覚症状がなくても、それこそ見えない毒牙にはずっとかかりつづけていて、いつの間にか犬猿の仲になってしまった不仲の夫婦関係においても起こりがちの、妻が夫に塩分高めの食事をさせ続けるあの嫌がらせ同様の「目に見えない殺人行為」を我々はこの「減点システム」によって日々、゛イメ威力を弱体化させられてしまっているのだ。減塩は体に良いかもしれないが、減点は体を蝕む。今すぐ、「減点システム」からの支配から逃れるべきだし、愛するわが子であり、未来のある子ども達からこの悪しき「減点システム」を遠ざける必要がある。

 よく国のトップは、「力を入れるべきは教育」と本心で発言しているのであれば、今すぐ、日本の教育システムを「減点システム」から「加点システム」へと革新すべきなのだが、彼らを見ていてもどう考えても変えたがっているのは教育とは違うジャンルの事ばかりで、「一番大事なのは教育」と言っておきながら、教育になどまったく力を注いでいないことが分かる。それは主観ではなく客観的にそういう事実しかないので、そういうことなのだろう。国や政治家達に頼っていては、日本の教育が確信されることもない。そっちの方面で変えていくのであれば、政治家自体を刷新する必要があるが、利権のという蜜をすすっている者達をいない状態にするのは難しい。これは政治も教育も同じ問題が蔓延っている。社会における悪しき問題の根源は、この「既得権益」的な問題にすがる亡者たちが作り上げていると見て間違いない。しかし、現時点での亡者を追っ払ったところで、また新しい誰かがそのポジションにつくだけなので、やはり気持ちのある人間達が、草の根から少しずつ「加点システム」の教育環境を創り上げていくしか可能性はないだろう。それこそ、ここは根強く雨にも負けず風にも負けず、圧力にも負けずに進み続ける必要がある。

 その社会の亡者達が寄り付くようなシステムというのは、もはや人間の本能的な部分に作用しているため、取り除こうにもなかなか取り除けない。この世界が弱肉強食のピラミッドのようなヒエラルキーを作っている以上、やはり人の上下にも人が作られてしまう構造が生み出されてしまうことは致し方のない事だろう。それでも、ヒエラルキーをつくるのであれば、それは「減点システム」ではなく、「加点システム」によってつくられるべきなのだ。何故、個々の才能や可能性を根こそぎ削いだ上で、ある特定のタイプの人間達しか優位に立てないくだらないルールでそのピラミッドを作るのか。それこそ古今東西、個々の才能であり可能性が発揮されるルール化において、その中でピラミッドが創られてしまうのであれば、それこそ上に立つ者達を尊敬する事もできるだろう。しかし、偏った評価基準で、一方的に押し付けられた社会的には意義を見出せないそのルール下で無理やり作られた「エリート」達を少なくとも私は尊敬することも出来なければ、するつもりもない。「国から極力減点されなかった人たち」を私は特段凄いとも何とも思っていない。

 尊敬すべきは、その小さな箱の外を飛び出して、これだけ窮屈なルールをぶっ壊してきた人間達の方だ。もちろん彼ら彼女らはその圧力に屈せず飛び出したのか、先天的にブッ飛んでいたから箱の中に納まることが出来なかったのか、また別の何かが原因なのかは分からないが、箱の外へ飛び出して、世の中を変えてきた。それは尊敬にしか値しない。

 しかし、私がここで主張したいのはその「ブッ飛んだ人間」は特別だったとしても、もしも自分がそのブッ飛んだ人間に生まれてこなかったとしても、人は与えられた教育によって誰でもブッ飛べるんだという事を一人でも多く伝えたいのだ。そして、教育によってはその者たちよりももっとブッ飛べて世の中を面白くできた者もいただろうに、そのブッ飛べる自分に出会うことが出来ず、くだらない減点を繰り返されて、しょーもない人生を送っている者達であり、送っていった者達がいたという事を忘れてはならないのだ。もしも、日本の教育が加点教育であったのであれば、日本という国は違う方向に進んでいた。誰が英雄であるかも大きく変わっていただろう。

 もしも、あなたの現在の人生がそれほど面白くもなく、特段凄い人間として活躍できていなかったとしても、それはあなた自身が今現在活躍している人間達と比べて、元から才能がなかったとか、可能性がなかったという証拠にはならない。もしそうだとするのであれば、この日本の教育ルールという物差しでは優秀な人間だと計測することが出来なかっただけで、もしも日本の教育が加点教育であったのであれば、あなた自身はすでに有能であることを自他ともに認められていた事だろう。

 私が~はじめに~において何故既存の日本の教師共に中指を突き立てたのかの理由はここにある。あいつらは日本では教育のプロとして見られているだろうが、それは「減点教育のプロ」であって、ただそれだけの事。むしろ減点行為は、RAPの世界で言えばDisりとも言えるが、実は本当のDisとは相手を減点する事ではない。Disには愛がなければDisではない、既存の日本教育における教師共がやっている事は、愛のないDisでしかない。

 もしも、私が総理大臣の立場で本心から「一番力を注ぐべきは教育」と豪語するような人物であれば、加点教育のできるプロフェッショナルな教師を量産できるように人力を注ぐ。もしも、日本の教育システムが加点教育であり、加点のセンスに長けた者達が「教師」と名乗り、子ども達の才能や可能性を開花させることに一役買えるような存在であれば、私が立てた指は決して中指ではなく、親指を立てたはずだ。しかし、現実は両手の中指を突き立てても飽き足らず、舌でも出さなければ気が済まない位減点中毒者達を撲滅したい気持ちに満たされている。

 何故なのか分からないが、日本のこの減点教育については私以外にもとっくに気づいているのに加点教育を導入する教育者たちはほぼ皆無に近い。優秀な人間達は別のジャンルに属し、この腐敗した日本の教育環境を変えようというチャレンジャーはほぼ見当たらない。だから、学校嫌いの私が遂に、加点教育の学校を創る事にした。勝てん勝負だったとしても加点教育の環境を創るチャレンジをしなければ、それこそ合点がいかず、ここまで日本をつないでくれたご先祖さま達に申し訳が立たないからだ。どこかで、日本の教育は加点教育から、減点教育にすり替わったのだ。少なくとも多くの教育者は加点教育をする者達が多かったはずだ。何故、減点教育になってしまったのかは義務教育という「平均化」を行った結果からだろう。「平均化」をすれば、古きよきものは、なきものとされる。そのいじめを黙って見ていられるほど、私はみじめな人間ではない。なので加点教育の学校を私は創る事にしたのだ。